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PORTO CERVO の人々

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2012年 02月 17日

Binòcoloの向こう側 Cala Sabina

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私の義母には義父と別れた後15年間ずっと一緒に連れ添ったトスカーナ出身のアンブロージョという男性がいた。しかしながらアンブロージョは長い間病臥に伏している妻がいる身であったため、トスカーナの家を拠点として、義母が住むローマの家に行き来しながら、さらには毎夏の1ヶ月間はサルデーニャの家で私達家族と共に過ごしていた。

2010年の春86歳でアンブロージョが逝去してからも、私達家族は毎年変わらず同じように夏の時期を一緒に過ごすけれど、毎年滞在していたアンブロージョが残していった遺品の数々が今も部屋の所定の位置に置かれていて、時折アンブロージョの遺品に触れては彼と過ごした日々のことを今でも回想することがある。

アンブロージョは毎朝、遅めのゆっくりとした朝食が済むといつもリビングの窓越しから、彼がずっと愛用していたBinòcolo(ビノーコロ:双眼鏡)を通してその日の天候や海の荒れ模様などを確認する習慣があって、それは何も天候だけに限らず、おそらくBinòcolo通していろいろなものをアンブロージョは眺めていたのだろうと思う。

仕事がオフのある日、私も遅めの朝食をアンブロージョと一緒に取り、朝食が済むとリビングの脇にあるサイドテーブルにいつも置かれているBinòcoloを手にして、いつものように窓越しから遠方の景色に焦点を合わせながらレンズ越しにしばらく何やらをずっと眺めていたアンブロージョ。
その後、すぐに私にもBinòcoloである物を覗いて見るように言われて、アンブロージョが定めたポイントをそのままにして
Binòcoloのレンズの向こう側を覗いて見ると、そこには真っ白に輝く美しい砂浜に白塗りされた海の家がポツリと佇んでいた。
聞くところによるとアンブロージョはちょうど6年前頃から、この私達の住む家のちょうど遥か向かい側にあるこの白く輝く美しいビーチの存在に気付いていて、いつもBinòcoloのレンズ越しから気にしていたという。

アンブロージョは昔の古き良きイタリアの時代の教養のある紳士という言葉がまさにぴったり当てはまるような人で、トスカーナ人特有の辛辣な毒舌家に加え、何事にも深いところまで常に掘り下げて根本的に考えるような人だった。
そしていつも「今のイタリアは本当に損なわれてしまった。今の若者はすっかり気骨のある奴が少なくなって、甘えた奴ばかりだ。移民たちの飢えの精神をもっと見習うべきなんだ。」というのが口癖で、義母のローマの家やサルデーニャの家でも家政婦をしているフィリピン人やカーボベルデ人たちといつも親しげに会話を楽しむような人だった。

昨年の12月のある時、私の夫がアンブロージョと同じようにBinòcoloのレンズの覗きながら、「ねぇ、知ってる? 僕達の家のちょうど向かい側に当たる所に、見事な白砂のビーチが見えるんだけど、位置的にはGolfo Aranci(ゴルフォ・アランチ:アランチ湾)になるわけだから、近々見に行ってみない?ずっと気になっていたんだよね。」

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# by portocervo1962 | 2012-02-17 02:30 | Gallura
2012年 02月 07日

FURBO(フルボ)

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日曜日の朝起きたら家の庭が一面雪で覆われていました。
昨年も確か2月のこのぐらいの時期に私達の住むエメラルド海岸にも雪が降ったのですが、年に一度だけ粉砂糖でほんのりと
覆われたようなわずかな雪ですが、それでも生活に支障を来たす雪といえども海辺の生活をしながら少しだけ雪景色を楽しむことが出来ました。
テレビニュースではイタリア北部の積雪の様子が毎年よく報道されますが、それが今年は実家のあるローマもこの雪のせいで
都心の交通網が遮断されてたいへんなことになっていました。またローマ郊外に住む友達の地域にも大雪が降ったらしく、まるで今年は北極のような寒さだと電話で話していました。
同じサルデーニャでも内陸部で標高が高い地域等では凍て付く道路に降り積もる雪のせいで雪かきをしている人々の姿が毎年テレビの画面に映し出されるほどです。
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普段は割と恵まれた気候である私達の住むサルデーニャ北東の海岸線地域でも今年のここ数日間の寒さは本当に身に応える程で、普段太陽の日差しを浴びながら芝生の上で過ごすのが好きな我が愛犬もこの数日間は寒空の下よりもやはり暖炉の前の
特等席をしっかり陣取って全く動こうとしない有様。
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暖炉に薪をくべて火を熾し、火が小さくなれば、また薪をくべてと結構手間がかかり、燃え残った木灰の後始末や効率の良い
暖房効果やまたは環境や相対的コストのことを考えて、2,3年前からペレットストーブがここサルデーニャでも主流になりつつあるけれど、私は暖炉のこの手間のかかる一連の作業と直に薪の炎を見入りながら、暖炉の前で過ごす時間がやっぱりこの上なく好きで、そして暖炉を前にして薪の世話をしながらの会話は人との距離をより近づけ、よりリラックスさせるように思います。
日曜日クラウディアがロンドンでの休暇から戻ってきてすぐに我が家に立ち寄ってくれました。お互いに遅ればせながらの新年の挨拶を交わした後は、暖炉の前で大きなマグカップを片手にそれぞれが燃え立きる薪の炎を見つめながらお互いの近況等を語り合いました。

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# by portocervo1962 | 2012-02-07 05:20 | A proposito di me
2012年 02月 01日

フラジリティとアコースティック

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昨年の年末のいつ頃だったかもうよく覚えていないけれど、ある時、車のラジオからAmy Winehouse のある曲が突然流れ出した。
その曲がしばらく耳元から離れなくて、結局は彼女のアルバムを初めていろいろと傾聴するきっかけをその曲が与えてくれた。
昨年の夏、親友のシモーナと働いていた時に、確か7月23日だったかネットでニュースを閲覧していたシモーナから突然、
Amy Winehouse が亡くなった事を聞いた時、薬物やアルコールの過剰摂取をはじめプライベート等でいろいろと必要以上に世間からいつも取り沙汰されていた彼女だったから、いつか何かが起こってもおかしくないと予期していただけに、また若干27歳という若さで命を絶ってしまったという訃報を知ってなおさら胸が詰まる思いだった。
私の周りの友達も、彼女のプライベートの真偽がどうであれ、彼女のミュージシャンとして天賦の才を誰もが認めていたので、
稀に見る才能を失くした事実に皆ショックを隠しきれなかった様子だった。

イタリアでも2006年から2007年にかけてはテレビやカーラジオからAmy Winehouse の曲が頻繁に流れるようになり、あまりにもメジャーになりすぎてしまうと楽曲の独自性が大衆化されてしまって何となくポップス・ミュージックの一員として化してしまう感もあって、じっくりと聴き入る機会をあえて設けてこなかったという本音が実は自分の中にあった。

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# by portocervo1962 | 2012-02-01 06:25 | A proposito di me
2012年 01月 31日

朝凪

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この時期の早朝のジョギングは日によっては肌身に突き刺すような寒さが身に応えて思わず家から飛び出す気持ちを鈍らせる時もある。でもジョギングを終えた後のあの何とも言えない爽快感がたまらなくて結局は生臭な気持ちを振り絞って走りに出かける。躊躇する気持ちと葛藤しながらもランニングウェアに着替えた後はもう心に迷いは無くなる。
ちょうど小学生の時の冬の恒例の駅伝競走の時もそうだったように、始まる前まではいやでいやで仕方が無かった。
でも結局は参加した後には何かしらすごい達成感をいつも感じていたことを思い出す。

あえて人影や車の少ない早朝の時間帯を選ぶのには、早朝の町並みはいつも静寂に包まれていて、自分の走っている足音と息遣いだけが耳元に響き渡りながらただ自分のことだけに集中できるように思うからである。

海辺沿いの細道を何度も往復しながら自分の定めた走行距離と走行ペースを時計で時折確認しながらメニューを消化していく。
早朝のトレーニングを済ました後には、小さなダイアリー手帳に×印しをつけてから、私の1日が始まる。
この小さな達成感が1日の始まりを心地よいものにしてくれる。

穏やかな朝凪の日にはなんだか自分の心もフラットな状態に近づくような気がするし、荒々しい波が岩礁に打ち寄せる大時化の時であれば自分の中の雑念が拭い去られるような気がする。

このところ朝凪のようにとてもおだやかな状態が続いている。



Opus 20 - Dustin O'halloran




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# by portocervo1962 | 2012-01-31 01:44 | A proposito di me
2012年 01月 24日

Happy Aging

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ローマから戻り、サルデーニャでの海辺の生活がまた始まった。
私達が戻ってからのサルデーニャ北東の海岸線地域はこのところ比較的にお天気に恵まれている日が多くて、数日前まで暖炉の前で暖を取っていたのがいつの間にかリビングから入る太陽の緩やかな日差しに誘われて窓際で過ごす時間がすっかり多くなった。
一日の日の暮れ方も少しずつだけれど遅くなっていて、道端の可憐な草花からも確実に春が近づいている事を感じる日々である。

そういえば今回のローマ滞在中には友人たちの家に呼ばれながらもたくさんのすてきな出会いがあった。
そんな中、外面的にも内面的にもステキに歳を重ねられている人々とたくさん知り合いになったことが相当私を刺激した。
私もいつの間にか歳を重ねて来て、歳を取るという事柄にそろそろ真っ向から向き合っていかなければいけない年代になってきたように思う。
そのためか自分と同世代や、年上でステキな男性や女性と知り合いになるととても刺激になる。
今回はとりわけ2人の女性の存在が特に私の心を射止めた。
一人は55歳で離婚して一人息子がいるけれど、彼女はたった一人で事業を始めて今本当に軌道に乗っていて、年下の彼氏も出来てとても順風満帆な様子だった。
もう一人は65歳で彼女もやはり離婚していて、今は作家として大活躍しているという女性だった。
2人とも年齢を感じさせないとても魅力的な女性で、経済的にも精神的にもとても自立していて、決して男性に媚びる様な女性たちではなかった。

私は小さい頃から、いつも大人になることに強い憧れを抱いているような子供だった。
それは20代を過ぎても30代になるのが楽しみだったし、30代を過ぎてもすてきな40代を過ごす為にはといつも考えている程だった。
そして40代を過ぎて50代に近づいてくるような年代になった今でも歳を重ねる事にあまり拒否感を感じた事はない。
そればかりか私の周りにはいつも昔から素敵に歳を重ねて来られた人々がたくさんいて、自分も素敵に歳を重ねられるようにと彼らからたくさんの希望と刺激を頂いてきたように思う。

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# by portocervo1962 | 2012-01-24 07:44 | A proposito di me