PORTO CERVO の人々

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2011年 06月 25日

Vecchio Stile di Costa Smeralda Ristorante RoseMary

先日の22日の夏至の日からいよいよ今年も夏のシーズンが本格的に始まったことになる。
21時頃でもまだ明るいので、途切れることなく続くアペリティーヴォをお供にしたおしゃべりも夜の帳が下り出した頃に
ようやく終りを告げて家に帰る人、次の待ち合わせ場所に向かう人と皆それぞれで、エメラルド海岸の夏の一日はこうして
ゆるやかにのんびりと過ぎてゆく。

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この時期のエメラルド海岸はまたオープニング・セレモニーと題してフェラーリやアウディ、または著名な宝飾メーカーや
スワロフスキー等が協賛して豪奢なイベントがいろいろなところで軒並みに行われていて、老舗から新参のレストランも
VIP顧客を豪勢なアペリティーヴォに招待しては口コミによる顧客集客を図ろうとひっきりなしになっている。

でもそんな中にあって、顧客集客を図るなんて試みをすることもなくいつもマイペースで60年代頃から今現在も
ポルトチェルボの社交・別荘族から愛され続けている一件のレストランがある。
それはある意味では62年のエメラルド海岸の設立からほぼ50年経った今でも古き良き時代のエメラルド海岸スタイルを守り続けているポルトチェルボの人々にとっては掛け替えのない存在でもあるレストランなのである。

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by portocervo1962 | 2011-06-25 09:52 | Costa Smeralda
2011年 06月 17日

Eclissi lunare 15 giugno 2011

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エメラルド海岸で夜な夜な繰り広げられる饗宴。

The Last Waltz


いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2011-06-17 09:20 | Costa Smeralda
2011年 06月 16日

Locanda Raphael Café

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あーなってこうなってと夢の中で描いたように生きることが出来たならどんなに良いだろうと思うけれど、大半の人は現実的にはそうはいかないと思っているのだろう。
常に夢を見ながら生きていた人、お金は無かったけれど変に妙案、名案が次から次へと浮かんできて、人徳というか彼の憎めない親しみの持てる人柄からか周りの人々の限りない援助によって自分の夢の実現を可能にした人、
Raphael Neville(ラファエル・ネヴィルとはそんな人だった。

サルデーニャの北東地域にあるPalau(パラウ)という町は主にマッダレーナ島へと行き交う連絡線が毎日出航していることでもよく知られている港町であるが、そのパラウの町のすぐ近くにポルトチェルボほどではないが白い建物に美しく鮮やかに咲き誇るブーゲンビリヤが軒蛇腹(コーニス)の装飾帯のように壁をつたう海辺に面したヴィラージュ群に小広場、小さな船着場を兼ね備えた、少しスペイン南部の地中海に面する海岸コスタ・デル・ソルを彷彿させるイメージを残す小さなリゾート地Porto Raphael(ポルト・ラファエル)がある。

エメラルド海岸の中心の港町はポルトチェルボであるが、昔からのポルトチェルボの社交族の間で必ず話題に上がっていたのが毎年8月のRaphael Nevilleの誕生日にパラウ近くのPorto Raphaelの小広場で3日間催されていたフェスタはポルトチェルボやはたまたポルトロトンドからも世界の社交族が挙って参加して、唯一羽目を外して一団となって底抜けに愉快に楽しむことが出来た伝説に残る社交族のパーティーとして名残惜しまれながらも昔の良き思い出として現在でも語り継がれている。

その当時、Raphael Nevilleの資金面で全面的に手助けをしていたエメラルド海岸の創設者アガ・ハーン4世の右腕的な役割を果たしていた有能弁護士Paolo Riccardi(パオロ・リッカルディ)の娘Margherita(マルゲリータ)によって、実は3年前からRaphael Nevilleの意志は引き継がれているのである。

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by portocervo1962 | 2011-06-16 10:35 | Gallura
2011年 06月 10日

The perfect sleeping weather

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日本はすでに梅雨入りしているけれど、私の住むポルトチェルボも最近、からっとした真夏日かと思ったら、突然雲行きが怪しくなって突如として雨に降られたりしているこの頃。

これから夏に向けていずれは乾燥して干乾びていってしまう木々や植物のためにも少しでも長くこの恵みの雨で色鮮やかな美しい花を付けたまま、私達の目を楽しまして欲しいと思う。

田舎に生活し出して、常に自然と接していると、いろいろな自然の変化に気付くようになって生活自体にゆとりというか余裕が出来たように思う。都会が恋しければ、ロンドンやミラノには頻繁に飛行機で短時間で出かけることが出来るし、田舎の生活自体に不便を感じたことは一度も無い。

ミラノやローマ、さらにはロンドンの友達からはポルトチェルボに住んでいることで、皆とてもうらやましがる。
それは単にポルトチェルボがという訳だけではなく、とにかくサルデーニャの生活のリズムがとてもスローなのである。
ミラノやローマ、ロンドンで生活している友達はいつも都会はカオスだと言って、かなりストレスを抱えている人が多い。
都会はいつも時間との戦い。
サルデーニャにはイタリア本土からもたくさんのイタリア人がバカンスだけではなく仕事でも訪れるが、皆サルデーニャのゆったりとした時間の流れ方にはまって行く。

つい最近、テレビや新聞などでもまた新たに取り上げられているのが、日本の沖縄と共にサルデーニャは長寿の地域としてまた再び注目を浴びている。
大自然に囲まれながら、空気や土壌の汚染の無い産地直送の食物を食しながら、ゆったりとした時間の中で過ごすのだから長生きしないわけがない。

日本に居た頃、人生のクオリティーというか生活の質というものに私自身もある時期直面した時期があって、本当にこのままでいいのだろうかと思い悩んでいた時期もあった。
結局は結果オーライで今は田舎の生活にすっかり馴染んでいる。といってもポルトチェルボという場所柄、特に春先から秋口までに掛けてはリュクスなホテル、レストラン、ブティック、クラブ、バールと軒並みにオープンしていて、いつも社交の場が繰り広げられているので、本来の田舎の生活暮らしという意味合いとはちょっと違うかもしれないが、でもこのライフスタイルが私らしくまた私に合っているのだと思う。
程良い脱力感と緊張感が生活にメリハリを与えてくれるのである。


先日の雨の日も窓際から雨足を眺めながら、ゆったり過ごしていた。
雨の日は家でゆっくり過ごして読書に耽ったり、深い眠りに付くのも悪くない。
よろい戸を通して聞こえる雨音は睡眠をより加速させる。



Yesterday I Heard The Rain



いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2011-06-10 18:37 | A proposito di me
2011年 06月 10日

オロセイ Centro Storico と Marina di Orosei

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オロセイはサルデーニャ島の東中央部に三日月の形のように入り組んでいるオロセイ湾の上に垂直に切り立つ長さ15kmと続く厳しい傾斜を成す海面から豊かな平野が広がる領域に在する町である。
中世サルデーニャのジュディカート時代にはガルーラ独立国の支配の後、12世紀に入るとピサ商人の支配と影響を大きく受けながらオロセイの町は大きな発展を遂げる中で、現在でもピサ商人たちの築いた歴史の名残が町の旧市街地に色濃く残されている。

しかしピサ商人の後にスペインはアラゴン連合王国の猛威が振るわれる時期に入ると、オロセイの集落はマラリアの蔓延とアラブの海賊達からの幾度とない襲撃に襲われるようになり、オロセイの町は徐々に衰退の一途を辿って行くようになる。

海岸平野という立地から海賊達から侵入されやすい海辺に近い集落に住む人々の恐怖と不安はオロセイの町中に所狭しと犇めき合うように林立している17もの教会の存在からもたくさんの巡礼者が巡拝し信仰を深め、恩寵に預かろうとしながら当時の人々の思いは海賊達からの襲撃の終焉を願って止まなかったのだろう。

実際にオロセイには町の至る所で教会を目にする。
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Chiesa delle Anime アニメ教会
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San Giacomo教区教会とRosario教会

またオロセイの経済の中心は農業と海水浴観光事業とそして大理石の採掘と加工・半加工産業でよく知られているが、実は今年に入ってからサルデーニャの石の採掘の業界がまた新たな復活の兆しを見せ始めており、ガルーラ地方の花崗岩やオロセイの大理石にしても石のクオリティーの高さが再び見直され、世界的な市場の拡大と拡販が経済に活気を取り戻してきている。
因みにオロセイの大理石の活用で知られているところでは、パリのシャルル・ドゴール空港、ギャラリーラファイエット、カリブ海はサントドミンゴのラス・アメリカス国際空港、ミラノのSan Raffaele病院、グッチのブティックの内装の大理石は全てオロセイの大理石が使用されている。
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オロセイの町を散策して思ったことは本当にいろいろな民族からの侵入を度々受けてきた影響が教会や古い領主の豪華な館にしても旧市街地のあらゆる建物のディティールに保存良く残されており、白く輝く石灰岩や黒灰色の玄武岩、高貴で気品ある大理石も全てオロセイの町を示す素材であり、中世の時代に大発展を遂げたその当時の町並みの様子が今もオロセイの人々の守り継いでいこうという意気込みによって見事に修復、保存されていて海辺に近い中世の町並みへの寄り道はあっという間に時間が過ぎていった。

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by portocervo1962 | 2011-06-10 02:28 | Baronie
2011年 06月 07日

Festa di Santa Maria del Mare

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今年で35回目を迎えたオロセイの宗教的祭礼のFesta di Santa Maria del Mare (サンタ・マリア・デル・マーレの巡礼祭)。
毎年5月の最終日曜日に古くから漁師たちが使用していたような木製の帆掛け船を生花で美しく装飾を施され、小船には聖母子像と木製のキリスト像を運ぶ司祭たちとオロセイの伝統衣装を身に着けたフォークロアグループに所属する少青年たちが、オロセイの魚釣り愛好家たちのボランティアによる舵取りによってオロセイの海岸平野を跨ぐチェドリーノ河川上を
Santa Maria del Mare教会まで華麗に川渡りが行われます。

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by portocervo1962 | 2011-06-07 04:42 | Baronie
2011年 06月 06日

Santa Maria 'e Mare 教会

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Fiume Cedrino(チェドリーノ川)とMonte Tuttavista(トゥッタヴィスタ山)

サルデーニャはヌーオロ出身のノーベル文学賞を受賞したGrazia Deledda(1871-1936)が1913年に発表した作品
Canne al vento」(風に吹かれる葦)の舞台となったのはサルデーニャ島の東中央部に蛇の蛇行のように滑らかなの曲線を描きながら横たわる76kmの長さの川Cedrino(チェドリーノ)を挟んだ谷間を中心にGaltelli(ガルテリ)の村にインスピレーションと感銘を受けながら著者であるGrazia Deledda自身も実際にGaltelliの村で生活しながら執筆をして作品を仕上げている。
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Fiume Cedrinoチェドリーノ川は南のBaronia(バロニア)地方のOrosei (オロセイ)、Galtelli(ガルテリ)の谷間に沿って流れ、この辺り一帯はオリーブ畑に、ぶどう畑、柑橘類の畑や牧草地が平野の上に広大な広がりを見せ、背後には石灰岩の山塊が隆々しく聳え立つMonte Tuttavista(トゥッタヴィスタ山)が見下ろす、なんとも風光明媚な景観であると共に中世の時代の城の廃墟跡やヌラーゲの居住区なども見られるなどしてアルカイックな風情をも醸し出している一帯でもある。

そしてOrosei (オロセイ)はMarina di Oroseiの海岸線からも2.5kmの距離に位置していて、いわゆる海面に面した低平地である海岸平野の上に若干支配されている地域であるが、ちょうどOrosei の町の外れは海岸線近くのチェドリーノ川と
Su Petrosuという沼が交差する川岸の高台の上に、実は以前から私が一度機会があったら是非訪れてみたいと思っている
小さなロマネスク様式のそれはかわいい教会があるのである。
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実際にはこの界隈一帯には、この穏やかで長閑な環境が好きでもう何度も足を運んでいるのだけれど、その小さな教会は閉まっていることが多くて、なかなか教会内部を見る機会に今まで恵まれなかった。

c0223843_1714155.jpgオロセイの町の紋章にもなっているチェドリーノ川の上を渡す橋は今やオロセイの
シンボルにもなっているが、実はオロセイの人々にとってはさまざまな深刻な問題を抱えている。

海岸平野ということもあり、過去決まって11,12月の時期に引き起こされた
大洪水による被害により、ここ数年の侵食作用の影響でチェドリーノ川の水路や
河床に破片や屑などの無数の漂流物が蓄積され多額の費用を掛けて掃海作業をする必要性に迫られている。
特に2004年の12月に起こった大洪水はOroseiオロセイからGaltelliガルテリのこの豊かに広がる平野地帯に莫大な損害を与え、橋や堤防が決壊するなど人々にも多大な被害を与えた大惨事を引き起こしたことで知られており、続く2007年の12月にも同様に大洪水による被害はオロセイの住民の人々の心配と不安をさらに増幅させた。
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毎年5月の最終日曜日に開催される宗教的な祭礼行列'' Festa di Santa Maria del Mare '' (サンタ・マリア・デル・マーレの巡礼祭)がオロセイのサン・ジャコモ・マッジョーレ教区教会から聖母子像と十字に架けられた木製のキリスト像が運び出され、オロセイの町中を抜けて、チェドリーノ川の橋の架橋下からは昔ながらの漁師用の帆掛け船を利用して、チェドリーノ川上を緩やかに水を切って渡り、オロセイの町の外れにある入江沿いのオロセイで一番古い教会でもあるSanta Maria 'e Mare 教会まで聖母子像は運び出され、その後のミサではその年の漁業への捕獲の祈願をはじめ、海の安全、人々の安全などさなざまな祈願と縁起が礼拝者全員で祈祷される。

そしてこのお祭りの機会を利用して私はようやく念願のSanta Maria 'e Mare 教会の内部を見ることができたのである。

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by portocervo1962 | 2011-06-06 02:48 | Baronie