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PORTO CERVO の人々

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2011年 08月 01日

私とJAZZ そしてブログの意義

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ポルトチェルボの私の友達は定期的に私のブログをよく覗いてくれていて、時々どうして投稿記事の最後にYouTube(ミュージック)を貼り付けているのかとよく質問を受ける。もちろん友達といっても彼等は皆日本人ではないから私がどんな文面を書いているのかもわからないし、只写真を眺めて終りなんだけれども、投稿記事との関連性があってのことだったらどうやらなおさら気になるらしい(笑)。

そもそも私がブログを始めたのが2010年の2月からで、ブログを始めた動機というのが日本の方にイタリアのサルデーニャのことや、日本ではまだまだあまり知られていない私の住んでいるポルトチェルボのことを少しでも知ってもらえたらいいかなと思ったことと、また私は普段日本語を話すことは皆無で、もちろん日本語を書く機会も全く無い生活をしていて、せめて母国語を忘れない為にも日本語でブログを綴ってみようと思って始めたことだった。

でもいざブログを始めてみると、なんとも日本語が出てこなくて母国語を長年使用していないとこんなにも衰えてしまうものなんだとかなり落胆してしまったことを今でもよく覚えているけれど、でも貧しくもおかしな日本語ながらにもブログ上で自分の言葉で綴っていく事で自分への備忘録のような感じで、ある種の楽しさを覚えたりしながらどうにか続ける事が出来ていた。

でも日本に起きた3月11日のあの悲劇を境にして遠く日本から離れている事でやりきれない悲愴感に駆られ、さらにはブログを続けていく事の意義さえ失くしてしまい、毎日日本が恋しくて心が満たされないままに暫くずいぶんとあまり聞いていなかった音楽をひたすら聴いて過ごしていた。

音楽といえば私にとってはいつも身近にあった存在で、日本に居た頃からテレビの音響効果の仕事に携わっていた友達の影響もあって、あらゆるジャンルの音楽を耳にし環境やシチュエーションに与える音楽の効果というものに興味を抱くようになり、テレビ番組やコマーシャル、さらには映画のバックに流れる音楽にも敏感になるようになり、あれから幾年も経って来たけれど、やっぱり昔も今も、うれしい時も悲しい時も、いつも音楽が私の身近にあり、私を支えてくれて来たような気がする。
おそらくこのことは誰も気が付いていない事だけれど、あの時を境にして、どうしようもない心の隙間を埋めるように
YouTube(ミュージック)を貼り付けるようになった。そして一度はブログを辞めようかとも思ったけれど、日本と今繫がっていられるのもブログを通してだけなのだとも痛感した。

ジャンルを問わず様々な音楽を聴く私だけれど、やはり聞いていて一番落ち着くのがJAZZ系統で、先日親友のシモーナと夜遅くまで仕事をしていた時、Nina Simone(ニーナ・シモン)の曲が流れ出した時、シモーナも私も何だかふっと懐かしさが込み上げて来て、ニーナ・シモンの心に染み渡る歌声とクラシックピアノで鍛えた硬質なピアノの旋律に魅せられ、お互いの過去の恋愛遍歴の中でかなりお世話になったことを私達はお互いにそれぞれ語り始めていた。



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Nina Simone(ニーナ・シモン)は2歳頃からピアノを弾き始め、クラシック音楽のトレーニングで有名なジュリアード音楽院に奨学金で進学し、1年後にはフィラデルフィアのカーティス音楽学校の編入プログラムの入学試験を受けるが結局は入学することが出来なかった。
ニーナはプログラムは申し分なかったが私が黒人である為に編入を受け入られなかったと後に語っている。
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Nina Simone(ニーナ・シモン)は2度の結婚と離婚を経験しており、2度目の夫、アンドリュー・ストラウドとの間には一女リサ・セレステをもうけ、離婚した後も不倫を初め数多くの恋愛遍歴を重ねていく。

63年には黒人公民権運動に関心を強めて「Mississippi Goddam」を作曲するなどして精力的に黒人解放運動にも参加していった。

Nina Simone(ニーナ・シモン)の音楽は単にJAZZ音楽という枠組みだけに定まらず、ブルース、フォーク、ソウル、ゴスペルと非常に多様性に富んでおり、クラシックで鍛えた素養を生かしながらのピアノの弾き語りと共に彼女の太くて低い独特な歌声は私達の心にいつもストレートに入ってくる。
おそらく女性ボーカルの中でNina Simoneほど説得力のある歌声を持っている人は他に類を見ないと私は思う。

私が初めてNina Simoneと出会ったのはまだ20代の背伸びをしていた恋愛の最中で、その当時かなり年上だった彼はかなりJAZZ音楽に精通していて、彼によって私はNina Simoneの存在を知った。

Nina SimoneはしばしばJAZZシンガーとして分類されるが、生前Nina Simoneがインタビューで語った事には
多くの白人の人たちはJAZZという音楽が"黒人の音楽""汚れた音楽"という意味合いで用いているようだけれど、それは私が演奏している音楽ではなく、私の音楽は黒人が奏でるクラシック音楽であり、だからJAZZという言葉の響きは私は好きじゃないの、またデューク・エリントンもそれが好きではなかったのよ。なぜならそれは単に黒い人々を識別するが為に使用される言葉だからよ
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今までに何度となくNina Simoneの曲を聴いているうちに同じ女性として彼女の人生に興味を持つようになったのはごく必然のことだった。
感情の起伏が激しく、気難しい性格だとよく表現されていた彼女は、自殺未遂や脱税問題で逮捕されたり、ロンドンでのコンサートを突然キャンセルしたり、南仏で暮らしていたときには隣の家のプールで遊ぶ青年2人が騒がしいといって銃を発砲したりとまさしく精神的な痛みが伴う波乱万丈な人生であったけれども、人一倍感じやすく、繊細で、常に人から愛され、愛する事に何の恐れもなさずにまっしぐらに突き進んだ女性だった。

そんな彼女のすさまじい生き様に反映するかのようにNina Simoneの問いかけるような迫力ある歌声は、いろいろなミュージシャンの楽曲をカバーすればいつもオリジナルの曲を越えてしまうほど、Nina Simoneの音楽のスタイルと変わり、リアルな彼女の説得力ある歌声と硬質なピアノの旋律がいつまでも私達の脳裏から離れないでいる。
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1957年に発表されたNina Simoneのファーストアルバム「Little Girl Blue」

60以上もある、Nina Simoneのアルバムの中で一番に挙げるとしたらやはりファーストアルバムの「Little Girl Blue」が私のお気に入り。
特に1987年にシャネルの香水「№5」のテレビコマーシャルで使用された「My Baby Just Cares For Me」が1987年まで世間に知られる事はなかったのに、1957年に発表されてから30年の月日が経ってから脚光を浴びるようになったのもなんとも皮肉な事だけれど、それによってNina Simoneの音楽性を新しい世代の若者が評価し、Nina Simoneは80年代のJAZZのアイコンとなった。

音楽の好みってその人の感性の指標を表すようなところもあって、音楽の好みが同じだったりすると自分と感覚が同じように思えて何だかうれしくなったりもする。
車の中のラジオからふと流れてきた曲やどこかのお店で流れていた曲が気になって、思わずいったい誰の曲なんだろうと気になった事がある人もきっと多いだろうと思う。
それぐらい音楽ってそれぞれの人の感性に働きかけてくるものがあるし、音楽によって気分が高揚したり、シリアスな曲に自分を感情移入させたりと音楽がもたらす効果は本当に様々であると思う。
自分の好きな曲が流れていれば気分もいいし、さらに新たに素敵な曲に出会えた時もまたとても気分がいい。

好きな曲を聞きながら日本語で自分の気持ちを表現しながら、またそれを読んでくれる人がいる。全ての人が好感や共感を持って読んでくれているとは決して思ってはいないけれど、それでも日本から遠く離れて周りには日本人が居ない環境で、私にとってブログは唯一日本とのつながりを感じられる手段だし、それによってささやかな喜びを感じている事は確かなのだと思う。

ファーストアルバム「Little Girl Blue」

Little Girl Blue

My Baby Just Cares For Me

Love or leave me



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by portocervo1962 | 2011-08-01 23:55 | A proposito di me


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