2011年 06月 10日
オロセイはサルデーニャ島の東中央部に三日月の形のように入り組んでいるオロセイ湾の上に垂直に切り立つ長さ15kmと続く厳しい傾斜を成す海面から豊かな平野が広がる領域に在する町である。 中世サルデーニャのジュディカート時代にはガルーラ独立国の支配の後、12世紀に入るとピサ商人の支配と影響を大きく受けながらオロセイの町は大きな発展を遂げる中で、現在でもピサ商人たちの築いた歴史の名残が町の旧市街地に色濃く残されている。 しかしピサ商人の後にスペインはアラゴン連合王国の猛威が振るわれる時期に入ると、オロセイの集落はマラリアの蔓延とアラブの海賊達からの幾度とない襲撃に襲われるようになり、オロセイの町は徐々に衰退の一途を辿って行くようになる。 海岸平野という立地から海賊達から侵入されやすい海辺に近い集落に住む人々の恐怖と不安はオロセイの町中に所狭しと犇めき合うように林立している17もの教会の存在からもたくさんの巡礼者が巡拝し信仰を深め、恩寵に預かろうとしながら当時の人々の思いは海賊達からの襲撃の終焉を願って止まなかったのだろう。 実際にオロセイには町の至る所で教会を目にする。 またオロセイの経済の中心は農業と海水浴観光事業とそして大理石の採掘と加工・半加工産業でよく知られているが、実は今年に入ってからサルデーニャの石の採掘の業界がまた新たな復活の兆しを見せ始めており、ガルーラ地方の花崗岩やオロセイの大理石にしても石のクオリティーの高さが再び見直され、世界的な市場の拡大と拡販が経済に活気を取り戻してきている。 因みにオロセイの大理石の活用で知られているところでは、パリのシャルル・ドゴール空港、ギャラリーラファイエット、カリブ海はサントドミンゴのラス・アメリカス国際空港、ミラノのSan Raffaele病院、グッチのブティックの内装の大理石は全てオロセイの大理石が使用されている。 オロセイの町を散策して思ったことは本当にいろいろな民族からの侵入を度々受けてきた影響が教会や古い領主の豪華な館にしても旧市街地のあらゆる建物のディティールに保存良く残されており、白く輝く石灰岩や黒灰色の玄武岩、高貴で気品ある大理石も全てオロセイの町を示す素材であり、中世の時代に大発展を遂げたその当時の町並みの様子が今もオロセイの人々の守り継いでいこうという意気込みによって見事に修復、保存されていて海辺に近い中世の町並みへの寄り道はあっという間に時間が過ぎていった。 サント・アントニオの塔の向かいにはSant'Antonio Abate(サント・アントニオ・アバーテ)教会が在しており、ここの教会のフレスコ画は必見。私達が訪れたときは残念ながら教会は閉まっていたので再訪を望むところ。 そしてこちらも建物の様式からおそらくピサの時代に建造されたと推定されるSa preione Vezza(prigione vecchia)直訳すると古い刑務所。中世の頃には裁判に関する公判などもこの城内で執行されていた。 オロセイの旧市街地でよく見かけた標識Casa padronale中世の時代には領主として権力を握っていた富の象徴が垣間見えて、こういうお屋敷の外観だけでも当時の様子が偲ばれる。 スペインの影響を受けたお屋敷に華族の紋章。 外壁の石灰岩の白塗りが青空を背景に太陽の日差しを受けてさらに美しく見えた。 こちらのお屋敷は玄武岩の外壁にやはりディティールはスペインの様式が取り入れられている。 窓枠を飾るフリーズは典型的なスペインスタイル。またオロセイの町中には所々にポーチ(ポルティコ)が見られて、本当に感心するぐらいにうまく修復されて保存されていた。 もう何度も訪れているオロセイのビーチ。 ビーチの幅も30mと広大で、ビーチの背後には何の障害物も無いので空もより高く感じて、より開放感がある。 気取りが無くてのびのびと出来るオロセイのビーチと中世の町並みの宝庫オロセイ、是非お勧めです。 いつも訪問ありがとう。
by portocervo1962
| 2011-06-10 02:28
| Baronie
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