PORTO CERVO の人々

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2011年 02月 24日

ヒッピーたちの最後の楽園

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Capo Testa

サルデーニャの特産物の一つに花崗岩の産出は世界的にも知られているが、サルデーニャ全域の中でも花崗岩の採掘場として特に名高いのが北東のガルーラ地方である。古代から埋葬地、城塞、教会等さまざまな建造物に花崗岩が人々の生活の中に溶け込みながら活用されてきたが、およそ1870年代頃から一般に市販され始め、国内、国外へと流通されるようになる。
そして1900年代以降からはサルデーニャの花崗岩は石材として世界で広く活用されるようになり、有名なところではミラノの証券取引所、東京のオペラシティコンサートホール、香港国際空港、ドイツのシュトゥッガルトにあるメルセデス・ベンツの本社、ニューヨークの自由の女神の台座等はサルデーニャの花崗岩が使用されている。

しかしながらここ数年、低価格で提供されている中国産の花崗岩の需要に押され気味の市場であるが、サルデーニャの花崗岩はクオリティーや審美的な美しさ、さらには年齢・地質学的見地から見ても非常に現在においても珍重され続けている。

実際にガルーラ地方は花崗岩の王国と言われるがごとく内陸には山塊、海岸線沿いには石塊・岩礁と巨大な花崗岩の大密集地帯が広がり、とりわけ海岸線沿いは赤褐色の厳しく切り立った花崗岩の岩礁を背景に碧瑠璃色に輝く海辺の美しさは毎年雑誌の巻頭ページを飾る程に人々を魅了して止まない。
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Porto CervoからPalau、そしてさらに西のSanta Teresa Galluraまで突き進むとSanta Teresa Galluraの西に突き出したCapo Testaの岬を見つける事が出来る。そもそも今から1万1千年前の地質時代区分の最後の完新世時代にはサルデーニャ島とコルシカ島は地峡によって繫がっていて、それが長い年月の海食作用によって破壊され、後に生じた海岸砂丘や古土壌には裂化堆積物が現在でもたくさん見受けられ、また固結した古土壌が含まれた化石もところどころに発見できるなどしてサルデーニャの北東部の最先端の一帯は実は地質学的にも非常に興味深いエリアなのである。
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Santa Teresa Galluraから西に地峡を渡るとCapo Testa岬に着く。
砂質状の地峡はL'isola dei Gabbianiと同様に2つの海に挟まれ、日が昇る側のBaia di S.Reparata
Rena di Levanteビーチ、日が沈む側をRena di Ponenteビーチと呼ばれており、Baia di S.Reparata側からはフランス領コルシカ島の南に位置するボニファーチョ海峡の深く切り立った断崖が遠方に目にすることが出来る。
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そして右手にまっすぐ進んでいくと古代にローマ人たちが花崗岩の採掘や加工場として利用していた石切り場に辿り着く。このあたりの入江周辺は昔のローマ人たちが残した花崗岩の半加工品や加工の不良品がたくさん確認できる場所でもある。(詳細は次の投稿で。)
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Capo Testa岬をぐるぐると徘徊していると古生代から息づいている花崗岩の広大な岩棚が大庭園のごとく突き広がり、
Capo Testa固有の植物相や絶滅種と言われているトカゲの生息からして空気の汚染がないこともすぐに感じ取ることが出来る。
でも何よりもサルデーニャの他の地域のような過熱した建築投機に冒されていない事がまだここにはちゃんと自然が保護されている事に一種の安心さえ覚える。

そして1960年代の終りに、このCapo Testaの奥地に楽園を見つけた人たちがいる。
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Capo Testaの奥地Cala Grandeは別名La Valle della Luna(月の谷間)と呼ばれ、1971年からヒッピーたちのコミュニティーが結成されている。
ヒッピーとは1960年代後半にアメリカの若者たちの間に生まれたサブカルチャーで、後には世界の先進国諸国にも浸透していった。人間や自然との直接的なふれあいに高い価値を置いて、コミュニティーを形成したり、定職に就かず放浪するといった行動を取ると定義にある。
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Cala Grande(La Valle della Luna)に辿り着くのにはくねくねと周りくねったかなり入り組んだ道を通っていかなければならない。しかし月の谷間に降り立つとそこにはヘンリームーアの彫刻のように長い年月を掛けて侵食された赤味を帯びた花崗岩が深い谷間を取り囲み、青く澄み切った海に春先から夏にかけては地中海潅木の植物が百花繚乱のごとく咲き乱れ、壮観でスペクタルな光景が視界に入ってくる。そして体を360度に回転させてみればそこにはカレイドスコープの迷宮の世界に入り込んだようになる。
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1979年のある日、ある少年は友達と初めて月の谷間に訪れた。そして彼は30年後にもう一度月の谷間に一人で降り立ち、30年前のあの70年代の幻想が変わらずにそこにあることを確認し、すぐにドキュメンタリーフィルム"La Valle della Luna"(The Valley of the Moon)の着想に取り掛かり、フィルムの主人公である月の谷間の昔からの住人アントニーとミンムの協力を得てGiovannni Buccominoは監督・プロデューサーとして彼等と数ヶ月生活を共にしながらフィルムを制作した。そして2010年にドキュメンタリーフィルム国際フェスティバルに出品参加、またヴィラージュDOCフェスティバルでは審査員賞を受賞している。
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La Valle della Luna(月の谷間)に1年を通して生活している人は通常4~5人。そして春から夏にかけては300人以上の人々がこの月の谷間に押しかけてくる。さまざまな世界からの旅行者、アーティスト、放浪者、またはヌーディストたちと跡が絶たない。
ドキュメンタリーフィルムの物語はヒッピーコミュニティーの年長者であるアントニーとミンムを中心にコミュニティーの世代間の受け継ぎを通して70年代のユートピア的な思想・概念を追求するがために陥る矛盾と無力さを年月を経て感じる嘆きと悲しみを
Giovannni Buccominoは親愛と敬意を込めてフィルムの中で表現している。




ポルトチェルボでイタリア人たちがパーティーの後半に音楽をかけて盛り上がる時に、最後にカラオケでパーティーを締めることがよくあって、そのときには必ずNomadi「Io Vagabondo」(1972)の楽曲を皆声を張り上げて合唱している。この楽曲は70年代のイタリアで最もイタリア市民から愛されている楽曲の一つである。

「僕はさすらい人」

僕はいつか成長する。
そして人生の空を飛翔する。
でも子供は知っている。
ずっと子供のままではいられないことを。

そして9月のある晩、
僕は目覚めた。
肌には風を感じ、僕の体は星の薄明かりに照らされる。
僕の家はいったい何処だったのだろう。
その家の中庭では子供が遊んでいた。

僕はさすらい人である。
僕はさすらい人の何者でもない。
ポケットの中にはお金はないけれど、
でも僕は天の神に生かされている。

そう、道はまだむこうにある。
僕には都会に見える砂漠が。
でも子供は知っている。
ずっと子供のままではいられないことを。

そして9月のある晩に、僕は旅立つ。
家の暖炉の炎は朝の太陽のように暖かくはなかった。
僕の家はいったい何処だったのだろう。
その家の中庭では子供が遊んでいた。

僕はさすらい人である。
僕はさすらい人の何者でもない。
ポケットの中にはお金はないけれど、
でも僕は天の神に生かされている。






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by portocervo1962 | 2011-02-24 10:45 | Gallura


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