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2010年 10月 19日

サルデーニャの養蚕とOrgosolo

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養蚕の起源を遡ると今からおよそ4500年前の古代中国ではすでに養蚕技術を持っていて、美しい絹織物を生産していたという。
そしてその美しい中国の絹織物を求めて中国の西安とヨーロッパを結ぶ7000km以上もの交易路を商人たちは砂漠を越え、あらゆる敵や強奪者に立ち向かいながら危険をも顧みず旅をした。
そしてドイツの地理学者で探検家のFerdinand Von Richthofen(1833-1905)(フェルディナント・フォン・リヒトフォーフェン)は自らの研究を元に書いた1877年『China』という著書の中で"Seidenstrassen"(ザイデンシュトラーセン)絹の道という言葉を用い、これによって後にシルクロードと命名されたのは有名な話だけれど、ではサルデーニャ島においての養蚕はいったいいつ頃から始まったのだろうか。

調べてみるとサルデーニャ島で最初の養蚕が始まったのは紀元10世紀頃東ローマ帝国の時代に齎されたと記録が残されている。
そして紀元17世紀サルデーニャはスペイン支配下の時代になると、島のこの気候を活かして養蚕と桑の栽培によって高貴な絹織物の生産を増やそうとサルデーニャの人々に従事させるための規定が議会で定められるが、実質は桑の栽培や養蚕の専門の知識やそれを指導できる人の存在が不足していた事もあって当時はなかなかうまく進展しなかった。

さらに1750年代から1800年代になるとサルデーニャ王国のピエモンテ政府による本格的な養蚕業の改革の導入により、サルデーニャの人々は養蚕業に本格的に専念する事を余儀なくされた。
しかしながらその甲斐があってか新たな養蚕による絹織物の生産の利益は、主には北ヨーロッパへの輸出により国の全体の利益の4分の3まで占めるまでとなり、サルデーニャの人々が養蚕業に従事する前向きな動機付けを与えるまでになった。
そしてこのサルデーニャの養蚕技術の向上と発展においては、ある女性企業家の存在を忘れてはならない。
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Francesca Sanna Sulis

彼女の名はFrancesca Sanna Sulis(1716-1810)。
彼女は(Cagliari)カリアリ県のコムーネの一つMuravera(ムラヴェーラ)で農業と家畜の飼育を営むかなり裕福な家庭で生まれた。そして1735年に法律家のPietro Sanna Leccaと結婚した後はカリアリ市に移り住むが、彼女の養蚕と紡績に対する情熱からQuartucciu(カリアリ県のコムーネの一つ)の町に引越し、Quartucciuの家の倉庫を絹織物の生産のための工場として提供し、さらには近代的な織機等を導入する等、桑園の管理、養蚕技術の向上を図る上においても大きな業績を残した。
彼女の工場で働く若者は初めて仕事場に携わる前には必ず養蚕・紡績の専門的な知識・技術を身に付ける為の教育課程を受けることが義務付けされていて、その当時においてはそれはとても画期的なことだった。
Francesca Sanna Sulisの下で生産された絹織物は最高品質を誇り、ピエモンテ州やロンバルディア州(コモ湖)にほとんど買い取られていったという。
貴婦人Francesca Sanna Sulisは18世紀のサルデーニャの養蚕・紡績の分野において専門家としての育成や、養蚕業・繊維工業の向上と発展において偉大な貢献を与えただけではなく、女性企業家のパイオニアとしてサルデーニャの経済を支え発展させた人なのである。

18世紀の後期、政府は桑の木の分布を調査した結果サルデーニャ全土ですでに5140本の桑の木が分布していたが、どの地域も養蚕がまだ初歩的な生産のレベルだった中で一地域だけが養蚕の作業の段取りが完璧で、繭の収穫から製糸技術、織成技術に渡りすべてに勝っていて、その一連の作業が他の地域からはまるで修道院の戒律にも勝る儀式のようだと囁かれていた。
その地域とはOrgosoloで今も昔も絹の生産において重要な地域なのである。
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サルデーニャのオルゴーゾロのCorda家では今現在も600年以上前から培われてきた養蚕・織成技術を娘のMariaの代まで受け継いでいて、オルゴーゾロの女性の伝統衣装を構成する上で欠かすことの出来ない女性の顔を覆う頭巾をオルゴーゾロでは≪Su Lionzu≫と呼び、その飾り帯(長さ1.5m、 幅330m)の制作を養蚕から織紡まで手作業で手掛けており、その伝統意匠の仕事の功績に対してMaria Cordaは2009年第23回目のカリアリ市のLioness Clubが主催する"Donna Sarda"サルデーニャ女性賞を受賞した。
オルゴーゾロの女性の伝統衣装はサルデーニャの他の地域の伝統衣装と比べて色彩的にも一際目を引く華やかさがあり、特に≪Su Lionzu≫と呼ばれる飾り帯を覆った姿は何とも印象に残るのである。
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オルゴーゾロの繭は小麦色を帯びた黄色の繭で、もともと本来繭は白色ではなく着色繭がほとんどで、それが長い年月をかけて着色繭を改良し、白繭が誕生した。そして着色繭は主にヨーロッパを中心に好まれ輸入されてきたそうだ。
サルデーニャの気候が養蚕に適している事の利点には通常春蚕(はるご)と言われる孵化の時期が4月中旬であるのに対してサルデーニャは3月20から25日の時期で日光をたくさん浴びた繭は素晴らしい光沢を放ち、美しい糸を作るからである。
またオルゴーゾロの品種と言われる繭は500mもの長い繊維を成し、紡いだ糸をカセに巻き取る時も数人の女性の共同作業で行われる。
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実際に全ての工程において女性の忍耐と根気を要する仕事について昔から儀式のようなものだと言われるのも納得できるのである。
また紡がれた糸をサルデーニャの特産でもあるサフランで染色していることも非常に興味深かった。
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オルゴーゾロのコルテス・アペルタスではMaria Cordaのアトリエに訪れてオルゴーゾロ産の繭に何百年と使い込まれた織機、オルゴーゾロの女性の衣装の大切な飾り帯≪Su Lionzu≫、オルゴーゾロならではの伝統の祭り菓子などオルゴーゾロの伝統文化に触れていろいろと楽しむことが出来た。
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Maria Cordaのアトリエの近くで遊んでいた女の子たち。

そしてオルゴーゾロはカンノナウの土着品種で知られるワインの産地としても有名でこのところ頭角を現してきているCantine di Orgosoloのワインを購入した。
Cantine di OrgosoloのワインボトルのラベルにはMaria Cordaが紡ぎサフランで染められた絹糸がラベルの飾り紐としてあしらわれている。
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私たちが購入したワインは500本限定のSORAI RISERVA 2007。

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オルゴーゾロにはまた訪れる機会があれば是非訪れてみたい。というのもオルゴーゾロにはまだたくさんのことが隠されていると思うから。
そしてオルゴーゾロの神秘に包まれた魅力を探ることは容易なことではないかもしれないけれど、また知りたいという欲望に駆られる町がオルゴーゾロなのだと私は思う。


いつも訪問ありがとう。


<参考文献>Antichi mestieri e saperi di Sardegna volume 9
LA BIBLIOTECA DELLA NUOVA SARDEGNA
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by portocervo1962 | 2010-10-19 04:59 | Barbagia di Ollolai


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