2010年 10月 01日
1962年エメラルド海岸協同組合の設立後、高級リゾート建設事業の皮切りはl'hotel Cala di Volpeだった。 エメラルド海岸の創始者であるアガ・ハーン4世はその当時の社交貴族の中においては飛び抜けてモダンであったことはすでに周知の事実ではあるが、また建築学に対する造詣の深さも相当なものだったことは有名な話である。 そんな彼がエメラルド海岸にリゾートの楽園を創り上げるうえにおいて最も固執したことは、彼のお眼鏡に適った著名な建築家たちをサルデーニャの地に呼び寄せ、サルデーニャのこの美しい景観と調和するようにサルデーニャ原産の資材を利用しながらサルデーニャの古くから伝わる伝統建築様式にサルデーニャ伝統の室内装飾をベースにした従来のリゾート地にはまったく存在しえなかった新しいリゾートスタイル、エメラルド海岸スタイルを生み出すことだった。 l'hotel Cala di Volpeの建設事業に当たったのはフランスの建築家Jacques Couelle、息子のSavin Couelle、私の義父とそしてもう一人ホテルの室内装飾を担当したのがヌーオロ出身の画家であり彫刻家であり、また建築家でもあるGiovanni Antonio Sulasであった。 Giovanni Antonio Sulasという人はサルデーニャを代表する画家、版画家、イラストレーターとして知られるGiuseppe Biasi(1885-1945)の教え子でもあり、サルデーニャ伝統の造型、装飾、工芸美術の世界において多大な貢献を与えた人である。 当時、Jacques Couelleや息子のSavin Couelle、そして義父にしてもSulas先生と共に働きながらお互いが良い意味で触発されながら、新しい着想などが次々と閃き、そしてお互いのその後の仕事にも大きな手掛かりを残す事が出来たという。 Sulas先生はl'hotel Cala di Volpeの室内装飾の仕事の大半を終えると、アガ・ハーン4世からの次の大きな仕事の申し出もあっさりと断り、ヌーオロにある自分の小さなアトリエに帰り、と同時にl'hotel Cala di Volpeの仕事とその当時同時に進めていた親友のホテルの仕事に専念する必要があった。 そのSulas先生の親友のそのホテルとはマドンナやガイ・リッチーをはじめとする映画のロケクルーが宿泊したホテルとしても知られているカントリー・リゾートホテルSU GOLOGONEである ホテルSU GOLOGONEはオロセイ湾のCala GononeからおよそOliena(オリエナ)方面に25km、車で35分ぐらいの距離に位置する場所にカルスト地形による水源SU GOLOGONEがあり、水源の深さが135mと深く美しい湧水地から200m離れたところにある。 l'hotel Cala di Volpeは1963年、ホテルSU GOLOGONEは1967年に建造されている。 私がもう何年か前に初めてホテルSU GOLOGONEに訪れた時、特にホテル内装のディティールがあまりにもl'hotel Cala di Volpeに重なる部分が多すぎてこれは模倣ではないかとそのときに思ったほどである。 後に、義父と夫からSulas先生のことを聞いてすごく納得した事を今でも覚えている。 ホテルSU GOLOGONEの創始者はOliena(オリエナ)出身のPeppeddu(Giuseppe) Palimodde。 Palimoddeは1925年に飼養者でありブドウ栽培者である父親Giacomoと母親Antoniannaとの間に生まれる。Palimodde家にはオリエナの現在の旧市街地の中心に当たるところにサルデーニャの古くから伝わる建築様式を施したすばらしい家屋を所有していて、母親のAntoniannaが率先して旅人や芸術家たちを宿泊させて常にあたたかくもてなし評判の宿だったそうだ。おそらくバルバージャ地方での宿泊施設casa-hotelスタイルの先駆けになったと言われている。 Peppeddu(Giuseppe) Palimoddeは母親のAntoniannaの働く姿を見ながらあたたかいもてなしと居心地の良い空間を提供するcasa-hotelスタイルのアイデアがどんどん蓄積されていったという。 またPeppeddu Palimoddeは美術蒐集家としても知られており、およそ1940年代からPeppedduの蒐集が始まり、サルデーニャ全土を渡りながら有名無名問わず彼の感性でサルデーニャの地元のアーティストの作品を買い集め続けた。その中でもとりわけGiuseppe Biasi(1885-1945)の作品に傾倒し、ホテルSU GOLOGONE開業以前の1961年レストランの営業のみの時代には、そのレストランにある一室をGiuseppe Biasiの作品だけで部屋を埋め尽くしてしまったほどである。 ホテルSU GOLOGONE開業後も各部屋、レストラン、ロビー、各通路、リラックスルームとホテル内の至るところにPeppedduの蒐集したアーティストの作品がSulas先生の室内装飾とうまく溶け込んで飾られている。 またホテルSU GOLOGONEはサルデーニャのアーティストたちの希少な作品に出会えることでも知られる博物館のようなホテルとして知られる一方、サルデーニャのバルバージャ地方の郷土料理を提供してくれるレストランSU GOLOGONEの評判としても名高い。 というのもPeppeddu Palimoddeの妻Pasqua Salis Palimoddeは子供服のデザインや、オリエナ地方の女性の伝統民族衣装の象徴とまで言われている花柄の刺繍で縫い取られたショールのデザイナーであったが、大の読書家で特にノーベル文学賞を受賞したヌーオロ出身の女性小説家・詩人のGrazia Deledda(1871-1936)の作品を読みつくしながら、Grazia Deleddaの著書の中に出てくるバルバージャ地方の昔の古いレシピの再現に目覚め、本を何度も読み直し Deleddaのレシピの再発見のためのイニシアティブを発揮し続けるバルバージャ地方の郷土料理の信念に生きている人なのである。 主なレシピの記述著書 Il vecchio della montagna(1899)、Cenere(1904)、 Canne al vento(1913)、 Marianna Sirca(1915) サルデーニャのバルバージャ地方料理に興味のある方はGrazia Deleddaの作品を是非一読されてみてはいかがだろうか。 レストランの受付近くにはサルデーニャの伝統収納家具cassapancaやオリエナ地方の女性の伝統衣装のシンボルのショール等、サルデーニャの歴史を感じさせるさまざまなものが所狭しと飾られている。 Peppeddu Palimoddeは地元のオリエナの人たちから長年親しまれていた存在であったが1996年に悲しくも逝去され、その後のホテルSU GOLOGONEは娘のGiovanna Palimoddeが引継ぎ新しいSU GOLOGONEスタイルを築き上げている。 娘のGiovannaは絵画アーティストとしても活動しており、ホテルSU GOLOGONEのオーナー共々精力的に活躍している人である。 2001年に映画「SWEPT AWAY」の撮影でホテルSU GOLOGONEに宿泊していたマドンナもGiovanna Palimoddeにホテルを発つ時メッセージを残している。 " Goodbye My House SU GOLOGONE " イギリス、ドイツ、アメリカ、デンマーク、フィンランドと世界中からの宿泊客が絶えないホテルSU GOLOGONE。著名なところでは俳優のリチャード・ギアやデザイナーのステラ・マッカトニーもサインを残している。 尚、Giovanni Antonio Sulas先生は2008年7月に他界されている。 サルデーニャのことを知りたいのであればホテルSU GOLOGONEにはその全てが凝縮されているような気がするのである。居心地の良いアットホームな雰囲気で是非ともお薦めしたいホテル。 そしてオリエナの町にはホテルSU GOLOGONEの創始者のPeppeddu Palimoddeに捧げた小さな広場があるのをご存知だろうか。 オリエナには今まで何度と無く通り過ぎていたが、先日に行われていたオリエナの秋の商業的イベント"コルテス・アペルタス"に今回初めて訪ねて見た。 いつも訪問ありがとう。
by portocervo1962
| 2010-10-01 19:12
| Barbagia di Ollolai
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