PORTO CERVO の人々

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2011年 11月 15日

廃鉱とヴァージン・コースト

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Porto Palmas(ポルト・パルマス)海岸

もう何年か前になるけれどサルデーニャ島は南西のIglesias(イグレシアス)にある廃鉱の村に訪れた事がある。
サルデーニャは古代から鉱床がとても豊かな島で、古代ローマ時代に冶金術の高度な技術が発達すると、中世の時代には島の鉱山活動は経済を大きく推進するまでに発達し、1861年イタリア統一後以降はサルデーニャの鉱業は島の経済を支えるまでに著しく成長するが、1900年代の半ばになると鉱床の枯渇によってほとんどの鉱山は閉山・廃鉱を余儀なくされた。
廃鉱後の鉱山施設は今日では島の産業遺産としてサルデーニャ自治州によって管理・保存されている。

Iglesias(イグレシアス)で閉山跡地や鉱業産業施設を訪問した後には、ずっしりとかなり重い
「LE MINIERE E I MINATORI DELLA SARDEGNA」(サルデーニャの鉱夫と鉱山)という本を思わず購入してしまった程、それ程その当時のその地域に根付いた産業の姿はある意味生々しくて感慨深いものがあった。とともに鉱山施設のすぐ近くの海岸線があまりにも美しくて、自分の中でその後も忘れられない風景の一枚としてずっと心の中に刻まれていた。
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サルデーニャ島の鉱業地帯は主に南に集中していて、特に南西の地域は産業遺産としての規模も大きく、見応えもある。
そんなことから唯一、北西部にある廃鉱の村Argentiera(アルジェンティエラ)は私にとっては未踏の地だった。
スキューバー・ダイビングする友達からArgentieraの海はすごくきれいだからと以前から聞いていて、機会があれば是非訪れてみたいとずっと思っていた。
先回のPorto Conte(ポルト・コンテ)から車で30km程北上すると、かつて銀鉱山として栄えた
Argentiera(アルジェンティエラ)がある。

冶金術・鉱業の発達とともに私達の生活はより豊かになったけれど、世界中のどんな地域の鉱山であっても、鉱夫という職業は常に危険と向き合わせで、痛みをも伴う仕事であり、その時代を写す昔の産業施設は彼らの仕事の苛酷さも垣間見たりして、
時には胸に迫るものがある。
そして廃鉱の真近にはいつも目に眩いほどに純潔で無垢ともいえるヴァージン・コーストが産業遺産を取り囲むように横たわっている。

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# by portocervo1962 | 2011-11-15 08:23 | Nurra
2011年 11月 04日

Porto Conte と星の王子さま

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Alghero(アルゲーロ)から北西の海岸線沿いとNurra地方南部の平野を跨ぐおよそ75kmの範囲まで広がる領域を
"Riviera di Corallo"(サンゴのリビエラ)と昔から総称されている。
古代ローマ時代からジュエリーや装飾品を作る為に領海で赤サンゴ漁をしていたサンゴの名前から由来している。

"Riviera di Corallo"には古代ローマ時代には"Nimphrum Portus"(ニンフの港)と呼ばれていた地中海でもっとも素晴らしい天然の港の一つとしてPorto Conte湾が中央を配し、動物・植物相学のオアシスとしても名高い国有公園Porto Conteと海洋自然保護区に指定されているCapo Caccia(カポ・カッチャ)岬と L'isola Piana(ピアーナ島)が観光地のメッカとして特に有名である。

c0223843_18124984.jpgでも"Riviera di Corallo"の海岸線でまず私が一番に興味を引いた事がある。
Algheroの近くにはCamping Mariposa(マリポーザキャンプ場)があり、そのキャンプ場前の海底で今からおよそ22年前に発掘された航海用具、兵器、装飾品、食器類、革靴などから、
15、16世紀の3本マストの快速帆船で知られるキャラベル船が3隻座礁して、沈没船が海底深く埋もれている事が水中考古学研究チームにより判明されたのである。
2009年10月にようやくイタリア議会で正式にユネスコによる
水中文化遺産保護条約が発効され、これらの歴史的沈没船が
Algheroの町の遺産、国の社会的文化遺産になる事を考慮して、海洋考古学博物館をAlgheroに建てて、観光誘致にも一役買いたいという思案があるようだが、沈没船の引き上げには陸上のそれとは比べ物にならないほど莫大な時間とお金と労力がかかり、国とEUからの補助金、スポンサーの確保等、なかなか道程は遠いのが現実だが、大航海時代を切り開いてきたこれらの歴史的沈没船が世界の海底に今もどれだけ埋もれているのだろうかと思うと想像は膨らむばかりなのである。

地図を見てもわかるように、Porto ContePunta Giglio(ジリオ岬)と Promontorio Capo Caccia(カポ・カッチャ岬)の間に挟まれ、北西の風に守られながらも過去数世紀の中においては軍事戦略的にも偉大で重要な意味合いを持っていた場所で、1353年のポルト・コンテの戦いではアラゴン王国がドーリア家をこの地で打ちのめした。
またジリオ岬は第2次世界大戦中には重要な軍事要塞基地として活躍し、今でも兵舎、高射砲の発射台、爆薬倉庫などの跡が残されている。

こうした過去の血生臭い歴史の傷跡を残しながらも、現在では毎年世界中から海水浴、スキューバーダイビングや洞窟探検、トレッキング、登山、動物・植物学、バードウォッチングと様々なレクリエーションを楽しむ人々で賑わっている。

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# by portocervo1962 | 2011-11-04 02:35 | Nurra
2011年 10月 27日

Fertilia ファシズム建築

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Parrocchia - San Marco (サン・マルコ教会)

Alghero(アルゲーロ)の空港があるAlghero-Fertilia空港のFertilia(フェルティリア)という小さい町はAlgheroの分離集落であるが、それと同時にイタリアのファシスト政権時代(1922-1943)にベニート・ムッソリーニによって建設された町としての方がおそらくこちらでは知名度は高いのだろうと思う。

サルデーニャ島でファシズム政権下の都市計画によって建設された主な町としては3つあり、まず1928年に建設された
Mussolinia(現在のArborea)、1936年のFertilia(フェルティリア)と1938年のCarbonia(カルボーニア)がある。

フェルティリア周辺を車で走っていると、何千本もの松が歩道脇に植えつけられているのが車窓からでも確認できるが、これにはもともとはこのあたりの地域は湿地帯の沼地で、ファシズム政権下の政策で土地改良法とともに土地が埋め立てられたのであるが、以前は沼地であったがゆえ、マラリアの棲みかとして地域の過疎化が進み、土地改良後は過密地域のフェラーラ等からの移民を迎え入れていた。

そしてその後、すぐに第2次世界大戦が勃発し、イタリア軍は旧ヴェネツィア共和国領でもあったイストリア地方やダルマツィア地方の領地を消失し、イストリアやダルマツィアからの亡命者はフェルティリアの町に移入する事になったのである。

Alghero周辺を車で周遊する時、必ず通り過ぎる海沿いに建つファシズム建築を呈したフェルティリア。Nurra地方のETFAS(Ente per la Trasformazione Fondiaria e Agraria in Sardegna)(サルデーニャでの農業と土地の変更作業の為の機関)の埋め立てに付随して1936年3月に生まれた町フェルティリアに是非一度立ち寄ってみては。

左右対称で、両翼に連なるアーチが特徴的なファシズム建築にこの地域原産のピンク色の粗面岩が特徴的なサン・マルコ教会。

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# by portocervo1962 | 2011-10-27 04:22 | Nurra
2011年 10月 25日

Il centro storico di Alghero: la piccola Barcellona(2)

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アルゲーロの町は1年の内のどんな時期に訪れようともいつも観光客で賑わっている。Alghero-Fertilia(フェルティリア)空港もアルゲーロの中心地からおよそ12km離れた所に在し、ローコースト等の多種航空会社が短・長距離路線を世界各国からAlgheroへと運航しており、また空港からAlghero市内まで繋げるバスなどもよく機能していて、ちょっと週末を利用してプチ・バカンスを楽しむ外国人の姿もよく見受けられる。
人々が通年を通してAlgheroに通うのにはAlgheroの町や町周辺地域がいろいろな魅力に包まれているからでもあるけれど、よくAlgheroを形容して"Città Rossa"(赤い町)と表現される事がある。
c0223843_20385485.jpgそれはAlgheroの町の特産品としてまず有名なのがルビー色に輝く、赤いゴールドとも言われる赤いサンゴジュエリー。

Algheroはサンゴの捕獲やサンゴの加工、販売がとても有名で、Algheroの町の紋章にもサンゴ枝が、カタロニアの州旗と共に挿入されているほど。
実際、Algheroの旧市街地を歩いていると、何百件というサンゴジュエリーの工房やショップが
軒並みに立ち現れてくる。

中世の時代からサルデーニャ島では、赤サンゴは島のもっとも貴重な天然資源の一つとして人々から身近に親しまれてきて、宗教的祭事の時に着用されるその地方においてのさまざまな伝統衣装とともにサルデーニャ・ジュエリーを身に付けて装いを完成させる上でも、ルビー色に輝く赤サンゴ・ジュエリーの光沢は一際いつも別格に豪華さを放っている。

そしてAlghero近海で捕獲される赤いロブスター赤味を帯びたウニがすべて赤いことから、赤い町といつしか形容されるようになったのである。
もしAlgheroに立ち寄る事があれば、カタロニア風ロブスター料理や、生ウニを使用したパスタ料理などを是非見逃さずにご賞味して頂きたい。

昼食時の軽食メニューにしてもカタロニア風パニーノとか、割とカタロニア風という言葉をあらゆるメニューに添えてあるのを頻繁に目にする度に私はなぜだか微笑ましくなってしまう。
こうして人々の生活に深く根付いた文化や伝統を背景にたくさんの他国文化を受け入れながら発展してきたアルゲーロの人々の包容さと人懐っこい人間臭さは、Algheroの美しい町並みの風景を通して、私達をいつもやさしくもてなしてくれて、居心地の良さを与えてくれる。

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# by portocervo1962 | 2011-10-25 17:07 | Nurra
2011年 10月 24日

Il centro storico di Alghero: la piccola Barcellona(1)

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先日、親友のシモーナからの近況メールが届いた。今年ポルトチェルボで一緒に仕事をしていた時は、時に私達はお互いにぶつかってしまうこともあったけれど、最後には名残惜しい別れをしながらシモーナはポルトチェルボからサルデーニャの北西にある
港町Algheroアルゲーロに途中数日間滞在して、その後はポルト・トッレスからフェリーに乗ってジェノヴァを経由してミラノに戻る事はシモーナから事前に聞いていた。

彼女のメールの内容はアルゲーロでの有意義な滞在のことをはじめ、彼女のセカンドハウス、マッジョーレ湖での長期休暇のこと等、その他プライベート的なこともたくさん綴られていた。
ミラノでの生活にはもううんざりしている事、自分の生活環境を一変して変えたい事は常々彼女から聞いていたことだけれど、
老後の事を考えてサルデーニャでのセカンドライフも悪くないとどうやら近頃考えているらしい。そしてミラノの職場に戻る期日をずっと引き伸ばしている事も書かれていた。

Algheroと言えば私にとってはもう何十回と訪れている馴染み深い場所だけれど、彼女から是非エメラルド海岸以外の
他のサルデーニャも見てみたいと言われて、すぐさま私はスペインのカタロニア地方の文化が色濃く残る城壁に囲まれた
中世の要塞都市Algheroを彼女に勧めてみた。サルデーニャの北西、正に地中海中央部に位置するAlgheroから、さらに西方の250kmの地点にはバロセロナが在していて、別称小さなバロセロナとも呼ばれているAlghero
ポルトチェルボから1時間40分ほど車を走らせれば、この地域特有の温かい南西の風によって運ばれてくる潮の香りが漂う
城壁に囲まれた港町がすぐに見えてくる。

女一人でも小刻みに優に廻れるほどのAlgheroの歴史的旧市街地区の散策はいろんな民族からの侵略を幾世紀にも受けながらも、異種文化を受け入れて育んできた独自の折衷文化がAlgheroの町並みの中に随所に散りばめられていて只、漠然と当ても無く歩いているだけでもまったく飽きさせる事がない程、それ程Algheroの町はいつも異国情緒に溢れている。

彼女が幾筋にも入り組んだあのバロセロナの町並みを彷彿させる細い路地裏を、まだ9月の日差しが強く突き刺す中、
一人どんな思いで歩いていたのかわからないけれど、ふと私も久しぶりにあのアルゲーロの町並みの中に再び立ち戻ってみようと思った。

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# by portocervo1962 | 2011-10-24 15:55 | Nurra