PORTO CERVO の人々

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2012年 01月 20日

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今回のローマの滞在時にはほとんど友達や知人の家に招かれて過ごしていたので、おかげでいろいろなお宅を拝見することが出来た。
よく一般に服装はその人となりを表すなんて言われ方もしているけれど、じゃあ家はその人、その人たちの人生をやっぱり映し出しているのだろうと思う。

年代によっても違うだろうけれど、子供達がようやく巣立っていって夫婦2人で第2の人生を楽しんでいる友、子供達の受験やその後の進路で頭を悩ませている友、離婚して実家に子供と一緒に戻っている友、子連れの再婚同士で家庭内がなんとなくぎくしゃくしている友、お互いがバツイチ同士で現在は事実婚をしながら事業を一緒に始めた友、2人目のご主人が3ヶ月前に亡くなられて未亡人となってしまった友、以前の恋人に浮気されてようやく傷心も癒え、新しい恋人が出来たけれど、相手に本当に愛されているのか不安でしょうがない友等、本当にいろいろな境遇の人たちがいて、家の内部もフォトフレームや家族から代々受け継がれてきた絵画や調度品、旅先で買い求めたというオブジェや散乱する子供のオモチャまでもからもその人たちの人生の断片がいろいろ垣間見えるようである。

ローマからサルデーニャの家に戻ってきて、何週間も空き家だった石造りの家は案の定冷え切っていて、すぐに暖炉に薪を燃やし、ヒーターをつけて2,3日過ごしているうちにようやく本来の家の室温に戻った。
旅先から帰ってくると我が家はやっぱりいいものだと誰もが実感するのはきっと同じだろう。

やはり住み慣れた家は快適である。自分達の都合のいいように整理・整備されているし、自分達の心地良い空間を作り上げているのだから当然である。

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# by portocervo1962 | 2012-01-20 03:31 | A proposito di me
2012年 01月 16日

ローマの休日と私の2012年

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2012年を迎えて1月もすでに中旬にも入ってしまってからの今年初めてのブログの更新となってしまいましたが、
皆様2012年もどうぞ何卒宜しくお願いいたします。


クリスマス・イブの早朝にローマに着いてローマのチェントロにある実家をベースに都会の娯楽生活に少し勤しみながら
充実したローマの休日を満喫できたように思います。
今回の休暇中はめずらしく外食したのが1度のみで、ほとんど実家やローマ市内やローマ郊外に住む友達や知人宅の豪華な大晩餐会に連日お呼ばれしながらの日々でした。
おかげさまでたくさんの人と和気藹々と語らいながら時には興味深いお話なども伺いながらローマ滞在を楽しむことができました。
普段ポルトチェルボのような特殊な場所に住んでいると同じイタリアと言えども様々な事柄でイタリア本土との温度差をしばしば感じる事も多く、こうして今回のように久しぶりに地域に密着したローマ市民の生の声を直に聞くと、ニュースやテレビのドキュメンタリー番組以上にイタリア経済の腐敗と深刻さを身近に感じ、より問題が現実味を帯びて来ていることを実感した次第です。

実は私達がサルデーニャを発つ寸前までは、ポルトチェルボは世の中の不景気などまったく微塵も感じさせない話題でいくらか盛り上がっていたので、ローマに来てからは少し現実に引き戻されたような感じです。

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# by portocervo1962 | 2012-01-16 23:32 | A proposito di me
2011年 12月 21日

Monte Moro

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ポルトチェルボにあるコンド Le Cerbiatte (レ・チェルビアッテ)

先週末、ポルトチェルボのコンドミニアムLe Cerbiatte のあるクライアントの依頼で室内装飾でオーダーされた品物のお届けを最後に私も今年最後の仕事納めと致しました。

コンドミニアムLe Cerbiatte は1965年に建築家Luigi Vietti(1903-1998)(ルイージ・ヴィエッティ)によって設計され建てられたもので、コンドミニアムLe Cerbiatte の脇にはあのアラブの王子アガ・ハーン4世のヴィラがまるで
ヨットクラブ・コスタズメラルダのクラブハウスとポルトチェルボのマリーナ・ヌオーヴォの全景を見渡すかのようにマリーナ・ヌオーヴォの向かい側の入江にいたって控えめに建っています。
そういえばPorto Cervoって直訳すれば、鹿の港という意味なのですが、Le Cerbiatte Cervoの縮小語になるので
バンビという意味になります。
改めて日本語にしてみるとなんだかかわいいネーミングですよね。

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# by portocervo1962 | 2011-12-21 19:16 | Costa Smeralda
2011年 12月 19日

Badde Salighes バッデッ・サリゲス

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1863年6月にイタリア・イギリスの共同出資による会社サルデーニャ鉄道ロイヤルカンパニーがロンドンで設立され、1880年にサルデーニャで最初の鉄道主要幹線路の開通式が行われた。

サルデーニャは古代からいろいろな民族からの侵略を幾度も受けながら、そして異国の文明を取り入れながら島国として成長してきた。
いつの時代でもいかなる場所においても異なるものを受け入れ国は絶えず発展向上して行く。
今でこそ毎年バカンスシーズンになるとバカンス先の候補地には必ずサルデーニャ島が挙がるほど、サルデーニャ島の海の美しさはすでに世界中の人が知るところ。
これにはアラブの王子アガ・ハーン4世がサルデーニャ島のガルーラ地方北東地域に1960年代に高級避暑地を創設したことによってサルデーニャ島の入江の美しさを世に知らしめ、サルデーニャ島の観光事業の発展に貢献したことは
もはや言うまでもない。

1800年代サルデーニャ島は高度経済成長時期を迎えていた。いろいろな分野の産業の発展と共に、島の陸地の交通網を充実させる必要性にいち早く目を付けたのが英国はウェールズ出身のエンジニアBenjamin Piercy ( 1827 – 1888) (ベンジャミン・ピアシー)だった。

c0223843_2393077.jpgBenjamin Piercy はイギリスで土木工学を専攻し、卒業と同時に
Benjaminの父親と兄ロベルトと共にすぐに働き始め、イギリス、フランス、スペイン、インド、南米等の鉄道設備の設計を手掛けてきた人である。

Benjamin Piercy はイタリア統一後の翌年1862年にサルデーニャに鉄道を敷くことを宣言し、さらにその翌年にはサルデーニャ鉄道ロイヤルカンパニーという共同出資の会社をロンドンで設立し、1865年の2月にサルデーニャ島に到着した。
まずはCagliari(カリアリ)- Decimomannu(デチモマンヌ)間が1871年に開通し、これを皮切りに島の鉄道交通網は1880年までに整備されていった。
特に興味を引いたのがSassari(サッサリ)方面、Olbia(オルビア)方面へと結ぶ線路の接続地点としてOzieri(オツィエーリ)-Chilivani(キリヴァーニ)駅が設けられ、Chilivani(キリヴァーニ)という村が
Benjamin Piercy のよって創設された村であったことである。

   Benjamin Piercy

Benjamin Piercy は1870年には居住のベースをイギリスからサルデーニャに移し、まずはカリアリに居を構えながら、
1879年から1883年の間にヌーオロ県にある標高約1000mほどの高地Badde Salighes (バッデッ・サリゲス)の3700haもの土地を買占め、家族の住む屋敷とイギリス式庭園の建造と共にBenjamin Piercy は企業家として新たな事業を企てるのにこの高地でさらなる先見の明と天賦の才を発揮していくことになる。
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Piercy(ピアシー)一族が住んでいたお屋敷はBenjamin Piercy の3代目の代になるとVera Piercyによって民間に
売却されるが、屋敷は長い間放置されるがままになり無残にも老朽化し、そこでBolotana(ボロータナ)のコムーネが見るに見兼ねてすべてを買い取り、2007年に屋敷は全面修復され、イギリス式庭園も現在は州の自然公園として登録されている。
おそらくサルデーニャ出身者であってもBenjamin Piercy の名前を覚えている人は少なく、鉄道の開通をはじめ、農牧業の分野でも合理的で近代的な所業を成し遂げ、サルデーニャの農牧業を進化へと導き発展にまで貢献したウェールズ出身のエンジニアBenjamin Piercy もやはりアラブの王子アガ・ハーン4世と同様にサルデーニャにとって決して忘れてはならない人なのである。

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# by portocervo1962 | 2011-12-19 02:56 | Marghine
2011年 12月 14日

S'Archittu サルキットゥ

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S'Archittu サルキットゥ

サルデーニャ島で今までに映画のロケ地として使われた場所を挙げたらいったいどれくらいあるのだろうか。
サルデーニャ島の沿岸沿いをはじめ内陸地にしても、舞台の一つの見せ場を作る絵コンテ通りに背景を完璧に描くのに相応しく、作り手のインスピレーションをこれほどまでに掻き立てる舞台を提供してくれる場所も少ないのではなかろうかと思う。
私もサルデーニャの全域とまではいかないけれど、いろいろと今までにサルデーニャを見て廻って思うことは本当に遠近画法のような風景があちらこちらに点在していて、この島の魅力にどんどん惹きつけられていくのである。

サルデーニャのこの険しく厳かな雄大な自然は本物の野生が作り出した美しさそのもので、それは人工的に作られた美しさでは到底太刀打ちできないほどに、大自然に抱かれるとはまさにこういうことなんだと時には険しい場所にも分け入りながらも自分の体と五感がそれを感じて教えてくれる。

以前から雑誌で石灰岩の長年の侵食作用で生じたこの見事なアーチのS'Archittu サルキットゥの写真を見ながら、いずれかは訪れてみたいと思っていて先日ようやく念願が叶った。

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# by portocervo1962 | 2011-12-14 02:21 | Montiferru