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2010年 09月 23日

Set in Sardegna

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オロセイ湾 Cala Luna

サルデーニャ島は一枚の写真絵葉書を構成する上でも絶好の被写体と景観を惜しみなく与えてくれ、また一本のフィルムを制作する上においても作り手のイマジネーションやイスピレーションを留めることなく掻き立てる場所としてよく知られていると思う。
故にサルデーニャは映画のロケ地としてよく利用されている。いや映画ばかりではなく、あらゆる撮影のロケーション地としてとりわけサルデーニャの海がテレビや雑誌に頻繁に登場しているのも事実ではなかろうか。

もともとサルデーニャは60年代初期頃までは羊飼いの生活や追い剥ぎやイタリア製のいわゆるマカロニ・ウエスタン調の西部劇を題材にした映画のロケ地としてよく使われていたが、1964年に制作された2本の映画によってサルデーニャの海岸線沿いの息を呑むような美しさが秘境の地として脚光を浴びだすようになる。

1本目はサルデーニャの南東にあるVillasimius(ヴィラシミウス)のPorto Giunco(ポルト・ジュンコ)がロケ地として使用された"La Calda Vita"(恋のなぎさ)。ベルギー出身のフランス女優Catherine Spaak(キャサリン・スパーク)主演、Florestano Vancini(フロレスターノ・ヴァンチーニ)(1926-2008)監督の作品である。

2本目は同じく1964年に制作された"Deserto Rosso"(赤い砂漠)。Monica Vitti(モニカ・ヴィッティ)主演、Michelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)(1912-2007)監督の初のカラー作品でもあり話題になった作品。尚この作品はベネチア映画祭金獅子賞を受賞している。
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L'isola Budelli

映画「赤い砂漠」のロケ地として使われたのはサルデーニャの北東にあるマッダレーナ諸島の一つBudelli島のある海辺である。以前にも書いたと思うが、マッダレーナ諸島のブデッリ島、サンタ・マリーア島、ラツォーリ島の一帯をazzurro "manto della Madonna"と昔から地元の人々からこう表現されている。それはキリスト教絵画の聖母マリアの青色のマントのように濃くとても深い青色をしていることからマドンナブルーと形容されているのである。
さて、そのある海辺とは"Spiaggia Rosa"(バラ色の海辺)として知られており、サンゴ類や浮遊性有孔虫の死骸によって波打ち際がピンク色に見えることでたくさんの人がこのピンク色に輝く海辺に訪れ、海辺の赤砂をペットボトルに入れて持ち去る人が途絶えなくなってしまったことから1994年から立ち入り禁止となり、現在は船上から鑑賞するのみになってしまったが、それでも毎年ブデッリ島に訪れる人は絶えないのである。
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Spiaggia Rosa

そして1970年代になると御馴染みの007シリーズ「私を愛したスパイ」1977年制作のLewis Gilbert(ルイス・ギルバート)監督、Roger Moore(ロジャー・ムーア)主演の作品ではエメラルド海岸のカーラ・ディ・ヴォルペ湾域をある1シーンのロケ地として使用されていた。
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カーラ・ディ・ヴォルペ エレファントロック

実はこのエレファントロックは名前のごとく像の形に見える事からそう呼ばれているのだが、カーラ・ディ・ヴォルペの隠れた名所なのである。
私たちも毎年カーラ・ディヴォルペのマリーナからカヌーでエレファントロックまでたどり着き、エレファントロックの水中を何度素潜りしたかわからない。

そしてカルトムービー的要素の強い1974年に制作されたイタリアはローマ出身の女性映画監督Lina Wertmuller(リナ・ウエルトミュラー)監督の作品"TRAVOLTI DA UN INSOLITO DESTINO NRLL'AZZURRO MARE D'AGOSTO"「流されて」はサルデーニャ島の東のオロセイ湾域が舞台となった。主演はGiancarlo Giannini(ジャンカルロ・ジャンニーニ)とMariangela Melato(マリアンジェラ・メラート)である。
この作品の脚本・監督を務めたLina Wertmullerはサルデーニャ島の東のオロセイ湾の粗削りで手付かずの大自然の醍醐味を感じさせるこの雄大な海岸線沿いにすっかり心を奪われ、またオロセイ湾の真珠とまで表現されるグリーンとコバルトブルーのコントラスが成す海の色と石灰質の荒々しい岩山にジネープロ(ビャクシン)や自生のキョウチクトウ等地中海潅木地帯が広がる景観は、フィルムが織成す虚構の世界と現実とを交差させる上で制作者にとっては理想の舞台となったのだろう。
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1974年制作「流されて」

そしてこのLina Wertmullerが1974年に制作した「流されて」にすっかり感銘を受けたイギリスの映画監督であり、アメリカのポップスター・マドンナの元夫であるGuy Ritchie(ガイ・リッチー)が2002年に「流されて」のリメイク版として「SWEPT AWAY」をマドンナを主演に起用して発表した。
しかしリメイク版「SWEPT AWAY」は2003年のラジー賞のワースト作品賞・監督賞を受賞しており、何かと話題をさらった作品として知られていると思う。
もちろんガイ・リッチーやマドンナもオリジナル版と同じようにオロセイ湾の海岸線沿いをロケ地として2001年に巡回している。
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映画「流されて」で当時ジャンカルロ・ジャンニーニが演じていた役をリメイク版では息子のアドリアーノ・ジャンニーニが演じている。
ちょうど先日もテレビでオリジナルの「流されて」が放映されていたが、何度観てもオロセイ湾の海岸線沿いの美しさには感嘆するばかりである。
そしてオロセイ湾の海岸線沿いはトレッキングコースとしても知られており、Cala Gonone (カーラ・ゴノーネ)からCala Luna(カーラ・ルーナ)の6.4kmのコースが特にお薦めだ。片道で2時間、往復で4時間。トレッキングをしながら視界に入ってくるパノラマがもう絶景なのである。
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Cala Fuili  オリジナル・リメイク版ともロケ地として使用。
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トレッキングコースからのパノラマ。

是非時間があれば、オリジナル・リメイク版合せてオロセイ湾の海岸線沿いの景観や海の美しさを意識しながらフィルムを鑑賞していただきたい。

そしてマドンナやガイ・リッチーをはじめとするロケクルーが宿泊した有名なカントリー・リゾートホテルをご存知だろうか。いろいろと雑誌などでも取り上げられているからご存知の方も多いだろうと思うが、実はこのカントリ・・リゾートホテルはエメラルド海岸と縁(ゆかり)のあるホテルだったことはあまり知られていないように思うのだが。
次回はこのホテルについて少しお話したいと思う。


いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2010-09-23 09:03 | Barbagia di Nuoro
2010年 09月 16日

カント・ア・テノーレスの町 BITTI

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毎年9月から12月の毎週末に催されるサルデーニャ島は内陸のバルバージャ地方の秋の商業文化的イベント"Cortes Apertas"(公開された中庭)が現在開催されている。
サルデーニャ島の中部ヌーオロ県のASPEN(Azienda Speciale Promozione Economia Nuorose)=(ヌーオロ県の商業プロモーション特別事務局)が主催しており、ASPENは1995年から活動しているヌーオロ県の農業、手工芸、製造業者の分野で組織されている商工会議所の特別事務局で"Cortes Apertas"も今年で13回目を迎えますます活気を見せている。

Cortes Apertasはサルデーニャの内陸地方の農牧業文化の歴史の中で何千年も引き継がれてきた真の伝統を通してすばらしい味覚や伝統的習俗に公然と出会う機会を私たちに与えてくれる。
毎年バルバージャ地方に属する26~28地域の町が参加し、それぞれ特色ある個々の伝統文化が一挙に公開されている。
私たちもCortes Apertasには毎年時間の都合が付く限りなるべく訪れているが、毎回何かしら新鮮でかつ新しい発見があり、サルデーニャの内陸地方の文化は本当に奥が深く、イタリアであってイタリアではないサルデーニャ独自の卓越した土着文化がそれぞれの町に個々に存在しているのはまさに見ものである。
先日の9月11日(土)にヌーオロ県の北東に位置しているBitti(ビッティ)のCortes Apertasに今回初めて訪れてみた。ちょうど北のガルーラ地方との境にあることもあって私たちの住むポルトチェルボからだと車で1時間程で着いただろうか。

Bittiの町は広範に広がる緑深い松林に3つの丘、Buon Cammino, Monte Bannitu, Sant'Eliaの丘に取り囲まれた谷間に町並みがまるできざはしのように横たわる人口3,400人ほどの集落である。
Bittiは現在においても家畜の養殖が主な活動源であり、昔から今も乳酪農生産に伝統文化の基準点を置いている。
Bittiとはサルデーニャ語で雌の子鹿のことを指し、その昔水汲み場で水を飲んでいた子鹿が猟師によって殺されたという伝説を歌った詩歌から来ているそうだ。
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さてBittiの集落の中心となるのがGiorgio Asproni広場。Giorgio Asproni(1808-1867)はBitti出身のイタリアの政治家で偉大な自治論者であり、ゆるぎない共和制主義者であったという。
私たちが最初に訪れたのがこの広場の真向かいにあるBittiの町の伝統的民族衣装が展示してあるフォークロアグループが主催する展示館。ちょうど民族衣装を纏った新郎新婦が中庭で写真撮影に協力していた。
そしてGiorgio Asproni広場からBittiの旧市街地に入るとMuseo della civilta' Contadina(耕牧文化博物館)があり、ここには70~80年代の建築技法を施したBittiの地域の昔の暮らしの伝統様式が伺える20の部屋からなる博物館で修復もすでに済まされており、保存状態もとてもよい見ごたえのある博物館である。
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花崗岩の階段とアーケードがすぐに視界に入り、博物館の入り口は小さいが奥行きがあって少し他のヌーオロの地域と比べると違った印象があり、やはりサルデーニャの北部に近いせいか幾分ガルーラの内陸部に近いイメージがある。
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階段を上がって2階の部屋はほとんど天井の梁も床も栗の木が使用されており、天井の葦の木の覆いはやはりサルデーニャの代表的な伝統的手法であると言える。
台所、居間、寝室、仕事場、キリスト教崇拝の間などそのころの生活の様子が伺えるようによく構成されている。
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さてサルデーニャのBittiと言えば、すでにご存知の方もいると思うがサルデーニャの伝統の概観を語る上で重要な役割を占め、彼らの文化の古代起源の重要な証拠の象徴でもある"Il canto a tenores"の町としてよく知られているのである。
"Il canto a tenores"とは男性の四声部で成り立っている男性多声合唱(ポリフォニー)でグレゴリ聖歌が広まる以前から伝統的に歌われていたとされる古いものであるらしい。この旋律的な声学の表現形式の時代区分を遡らせるはっきりとした年代学上の具体的な資料は何もないが、いくらかの証言によるとサルデーニャにおいての中・後期青銅器時代のヌラーゲ文化の時代まで遡ると言われている。
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実際、テノーレスのメンバーの4人はヌラーゲの建築様式の基本とされる円錐形の形を模してか必ず円陣を組んで歌われているのはたいへん興味深いところ。
テノーレスの4つのパートはBassu(バス)(牛)、 Contra(バリトン)(羊)、 Mesu boche(アルト)(風)、Oche(ソリスト)(人間の声)で構成され、自然の音色をうまく模倣している。
Bittiにはカント・ア・テノーレスのグループが4つあり、今回私たちがBittiに訪れた時にテノーレスを歌い上げていたのが一番若手の2006年に結成されたグループTenore Monte Bannitu。グループ名はBittiの町の丘のひとつMonte Bannituから来ている。写真に写っているのはグループMonte Bannitu
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Bittiのテノーレスで最も古く歴史あるクループが"Remunnu 'e Locu"。1974年結成された30年の歴史あるグループ。毎年8月29日にヌーオロで行われる救世主イエスの宗教儀式を兼ねてのお祭りSagra di Redentore(救世主のお祭り)で6年続けて優勝した実力グループで、グループ名の"Remunnu 'e Locu"はBitti出身の即席詩人Raimondo De Loguの名に捧げられている。
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そして2007年には日本でもすでに公演してテレビ出演も積極的に行っているグループTenore Mialiu Pira。このグループは1995年に結成され、彼らのグループ名はBitti出身の作家であり、人類学者、また政治家でもあったMichelangelo<Mialiu>Piraの名から来ている。
3番目のグループはSantu Jorgeddu 'e Dure。Remunnu 'e Locuが1995年よりBittiの市役所に協力してCanto a Tenoresの原理体系を指導するコースを主催していた時に先生として指導していたメンバーたちが結成して出来たグループ。Santu Jorgeddu 'e Dureのクループ名はイタリア語でSan Giorgio di Dureを指し、昔Bittiに存在していた村Dureの村の聖人ジョルジョの伝説から名を取ったと言う。
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4番目のグルーMonte Bannituは2005年~2006年の間、Remunnu 'e Locuが主催する学校の生徒たちであった。ただしMonte Bannituの彼等はカント・テノーレスの声楽を4年以上学んでいると言っていた。

サルデーニャの凛々しい伝統衣装に身を包んだ若者たちが長年大切に引き継がれてきている伝統文化を後年にも自分たちの新しい感性でさらに伝えていこうとしている姿はまぶしくて輝かしいものがある。
サルデーニャの若い世代の人は自分たちの生まれ育った町の文化や風習を本当に尊重していて誇りに思っていることがこういうお祭りに訪れるたびに改めて実感させられるのである。
実際間近で聴くとすごい迫力で、機会があればサルデーニャのどこかの教会か旧市街地で彼らの生の歌声を是非聴いてもらいたい。






Bittiを去ろうとする時にはすでに薄暗くなっていて、足早に歩を進めていたら突然照明に照らし出されていたテノーレスのグループRemunnu 'e Locuの写真を壁に見つけた。

Bittiの町は正真正銘のIl canto a tenoresの町だった。



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Il canto a tenoresはUNESCO(ユネスコ)に2005年「人類の口承及び無形遺産の傑作」に認定されている。


いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2010-09-16 00:52 | Barbagia di Nuoro
2010年 09月 10日

Time in Jazz Berchidda

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サルデーニャの北ガルーラ地方に聳えるリンバラ山脈の南方の麓に肥沃な谷間と緑豊かな起伏に富んだ丘陵地帯に囲まれた人口3000人ほどのBerchidda(ベルキッダ)と言う町がある。
Berchiddaの町はこの10年ほどで主に畜産農業の分野でめまぐるしく発展しており、またワイン生産においてもサルデーニャ島の辛口白ワイン品種で知られている"Vermentino di Gallura"(ヴェルメンティーノ・ディ・ガルーラ)は1966年にDOCG(統制保証原産地呼称ワイン)に格付けされていることでも有名だ。
またワインと同様にBerchiddaと言えば毎年8月15日の聖母被昇天祭の祝日の前後1週間の日程で開催される世界中から今を活躍しているジャズ・ミュージシャンたちが集うジャズの祭典"Time in Jazz" Festivalも今年で23回目を迎え、年々ますます熱気を帯びてきている。
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Time in Jazzの祭典は1988年にイタリアはサルデーニャ島Berchiddaで生まれ育ったトランペット奏者Paolo Fresu(パオロ・フレス)によって発起され、彼が中心になって企画・進行が進められている。毎年すばらしい豪華メンバーのジャズ・セッションが楽しめるとあって8月のジャズフェスティバルの時期には世界中からジャズ愛好家が集まってくる。
また毎年Time in Jazzにはテーマが掲げられ、今年のテーマは"ARIA"(空気)だった。
2010年8月10日~16日の主なジャズ・ミュージシャンには、Ornette Coleman(オーネット・コールマン)(アメリカ・テキサス州フォートワース生まれのジャズ・サックス奏者)、Enrico Rava(エンリコ・ラヴァ)(イタリアを代表する名匠トランペット奏者)、Ralph Towner(ラルフ・タウナー)(ワシントン州のECMレーベルを代表するギタリスト)等多彩なメンバーで、まさにジャズ愛好家にはたまらない面々であろう。

ジャズ祭典期間中にはBerchiddaの町を中心にガルーラ地方にある主だった教会や旧市街地などさまざまなスポットでジャズ・セッションが繰り広げられる。
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Paolo Fresu
1961年生まれ。11歳の時よりトランペットの勉強を始める。
彼の奏でる一つ一つの音色はとても丁寧で繊細で、往年のマイルス・デイヴィスやチェット・ベイカーを思わせる現代のヨーロッパで最も旬なトランペット奏者の一人に挙げられると思う。
近年、フィラデルフィア出身のいわずと知れたジャズピアニスト、Uri Caine(ユリ・ケイン)など様々なミュージシャンとのコラボレーションを精力的に行っている。
また彼の著書「musica dentro」の中でも語っているが、自分のプライベートを確立する上においてもテレビや雑誌取材等のマスメディア上での露出を極力控えている人であることがわかる。こよなく母国語、サルデーニャ島の彼の育ったBerchiddaの地方で話されるログドレーゼに対する愛着は飽きる事が無く、ログドレーゼの朗読会も率先して行っているほどである。
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2007年 Time in Jazz berchidda "My Funny Valentine"



こちらはClaudio Monteverdi(1567-1643)(クラウディオ・モンテヴェルディ)16-17世紀のバロック音楽の作曲家の有名歌曲"Si dolce è l'tormento"(苦しみはかくも甘く)をPaolo FresuがUri Caineとカバーしている曲がすばらしい。




最後に
Paolo Fresuの小さい頃の写真を見ると、この人のトランペット奏者としての情熱は何も語らなくとも理解できたのは私だけではないのだろうと思う。
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Time in Jazz Berchidda いつか訪れて欲しいステキなフェスティバルです。
 
いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2010-09-10 23:16 | Monteacuto
2010年 09月 07日

海辺のコンサート Spiaggia di capriccioli

サルデーニャは毎年夏になると所々でJAZZコンサート等さまざまなイベントがたくさん開かれている。ここ数年でますます活動的になってきているように思う。
単にコンサートと言えば個人的には真っ先にCala di Volpe Hotel超豪華なコンサートを思い浮かべてしまう。
なぜならエメラルド海岸のCala di Volpe Hotelのコンサートと言えば有名で、世界的にも有名なミュージシャンたちが毎年すばらしいショーを繰り広げ、またそのコンサートに招待されるゲストも各国の王族の方々を初め世界的にも名だたる方が招待されて毎年各メディアを騒がせているほどである。
今年の2010年7月30日に行われたCala di Volpe HotelのコンサートはSimply Red(シンプリィ・レッド)だった。
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以前の記事でCala di Volpe Hotelを紹介したと思うが、ちょうど外のプールのある場所を中心にテーブルが軒並みに並べられ、シャンパンやキャビア、伊勢海老、サルデーニャの伝統料理 “porceddu” allo spiedo子豚の串焼きなどの超豪華なメニューが用意されており、そしてコンサートのクライマックスには毎年恒例の打ち上げ花火で幕が締められる。
私の夫のクライアントもこのコンサートに出向かれたが、コンサートが開かれるCala di Volpe Hotelのひとテーブルが1500ユーロ(19万5千円)と価格も半端ではないが、毎年テーブルはすぐに埋まってしまう。毎年思うことだが、まったく世界の不況など微塵も感じさせない世界が其処にはあり、また社交族の交流の場でもある。

そしてこのシンプリィ・レッドのコンサートの中でコラボレートとして一緒に参加していたCesare Picco(チェザーレ・ピッコ)の海辺でのコンサートが7月25日のちょうど満月の夜12時にカプリチョーリビーチで行われた。毎年エメラルド海岸協同組合主催により入場は無料である。

Cesare Picco(チェザーレ・ピッコ)はイタリアのジャズピアニストで、クラシック・ピアニストの両親を持ち4歳からピアノを始める。2007年暮れには日本にも来日しており、ブルーノート東京でコンサートを開き、以来着実にファンを増やしている。今年の9月16日と17日に東京の原美術館でコンサートが行われる予定である。


「BLIND DATE―暗闇のピアノコンサート」

『音と音の隙間が”静寂”であるとするならば、私は”静寂”の重さを計り、暗闇を追求したい。「Blind Date」は、暗闇を理解する可能性を与えてくれる。そして理解することで、私は暗闇に光を与えることができる。』



チェザーレ・ピッコは2009年にもエメラルド海岸を訪れており、2009年にはLiscia Ruja (リッシャ・ルイヤ)ビーチで行われていた。





そして2011年7月の満月の夜にエメラルド海岸でまた会うことをCesare Piccoは約束してくれた。

次回も今年の夏に行われていたイベント少しだけ紹介したいと思う。

いつも訪問してくれてありがとう。
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by portocervo1962 | 2010-09-07 07:14 | Costa Smeralda
2010年 09月 05日

Tavola Azzurra

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サルデーニャのエメラルド海岸でのヴァカンスの滞在費ってかなり掛かりそうだとお考えの方たくさんいらっしゃると思いますが、ポルトチェルボやエメラルド海岸域の少し外れになるとホテルやレジデンスまたはB&Bも手頃な価格で提供してくれる場所が結構あるんですよ。
ここ2年ぐらいでおしゃれでハイセンスなB&Bもほんとうに増えてきていると思います。
また食事に関してもなるべくコストを押さえてその土地の郷土料理を価格に見合った料金で存分に味わってみたいとお望みの方もいらっしゃるかと思います。
残念ながらエメラルド海岸地方にはサルデーニャの他の地域のようにその土地の古くから培って来た食文化というものがありません。
もちろんガルーラ料理を提供してくれるお店はたくさんありますが、有名シェフを起用したりと何かと付加価値が付いて料金も破格なお店が多いのでエメラルド海岸の中心でもあるポルトチェルボ界隈のレストランですと1人50から100ユーロが相場になってきます。もちろん真摯に情熱を持って食事を提供してくれるお店に関してだけ言えば(そうではないお店もたくさんありますので気を付けて。)少し奮発してでもそれだけの出費を捻出するだけの価値のあるお店なので是非訪れていただきたいと個人的には思っています。

さて今回は先日、Cannigione(カニッジョーネ)のメルカートの時の記事の中でご紹介したいお店があることに少し触れていたのですが、今日はカニッジョーネにあるガストロノミア" Tavola Azzura"をご紹介したいと思います。
カニッジョーネってもともとは漁師の町ということもあって今でも新鮮な魚介類が入手しやすく、このお店" Tavola Azzurra"は新鮮な魚介料理からガルーラ地方料理まで幅広いメニューで手頃な価格とボリュームでいつ行っても行列ができているお店です。

非常に地元に密着したお店で簡易式のテーブルと椅子にプラスチックのお皿とコップでもてなしてくれる何ともフランクな雰囲気のお店で今ではツーリストの方たちの間でも話題に上がっている人気のお店です。
Tavola Azzurraは4月から10月末まで毎日休み無く12時から11時まで営業しています。ハイシーズンは予約を一切受け付けないので列を作って並ぶ必要があります。
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場所はカニッジョーネのSan Giovanni Battista(サン・ジョバンニ・バティスタ)広場の教区教会を背後にした民家の中のサルデーニャの伝統文化でもあるMurales(ムラーレス)壁画前にあります。ほんとうにいつ行っても人が群がっているのですぐにわかります。ハイシーズンだと待ち時間は1時間半ぐらいと思ってください。7時半ぐらいに行くとまず並ばずにすぐにテーブルに着けると思います。

先日9月に入って仕事が終えてから9時半ぐらいに訪れたら50分待ちでした。まだ予約は受け付けてくれませんでした。
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まずはコペルトのホカホカのパンが出てきて、サルデーニャのビール"ichnusa"で乾杯。
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このお店自慢のムール貝。
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そして魚介のパスタ。
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そしてポテトフライとイカのフリット。
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すごいボリュームでしょう。とにかく量が多いので団体で行かれるとより楽しいかと思います。
だいたい1メニュー8ユーロ前後なので安心してオーダーしていただけると思います。
食事の後はカニッジョーネの夜の出店をぶらぶらしながら楽しむことが出来ます。Murales(壁画)に沿って出店が連ねているのでちょっとした散歩道になっており、港も船着場も目の前なので毎晩たくさんの人で賑わっています。
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cannigioneの町って生き生きとしたとても風情のある町でとてもリラックスできてツーリストの方たちにもとても人気のある町です。
エメラルド海岸地方にお見えになられる時は是非とも立ち寄っていただきたい町です。まだまだCannigioneにはご紹介したいお店がまだあるのでまた楽しみにしていてください。

Rosticceria Gastronomia
Tavola Azzurra
TEL3471215328



いつもご訪問ありがとうございます。
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by portocervo1962 | 2010-09-05 07:57 | Gallura
2010年 09月 03日

メルカート ソプラヴェント

このところポルトチェルボも夜になると急に冷え込むようになり本当に肌寒くなってきましたのでサルデーニャにこの時期いらっしゃる方は是非上から軽く羽織れるジャケットやセーター、ストール等を必ずご持参されることをお薦めいたします。
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さて今回で最後のメルカート情報となります今年2010年の6月18日から新しく始まったsopraventoのメルカート。
sopraventoと聞いても日本のほとんどの皆さんはあまりピンと来ないかも知れませんね。

1970年代頃、ポルトチェルボに集うジェットセットたちを虜にさせたディスコ"SOTTOVENTO"(ソットヴェント)の名はヨーロッパの社交族の間では馴染みの場所で、70年代、80年代ポルトチェルボのナイトライフを過ごす上において欠かせない場所でした。そしてSOTTOVENTOに続いて道路を挟んだ向かい側に(いわゆる第2号店として)SOPRAVENTOというディスコが誕生するのですが、SOTTOVENTOの存在があまりにも大きすぎて経営が伸び悩み2010年から新しいレストランとクラブを新たにオープンさせ旧SOPRAVENTOの建物前の大駐車場を利用してオーナーが毎朝金曜日にメルカートを開いたらどうかと閃き今年から試みたらそれが大当たり。毎朝金曜日SOTTOVENTO前の道路はいつも渋滞で渋滞が10時から1時まで続くと言う大反響ぶりです。

またいつものごとく少し話が逸れてしまうのですが、70年代SOTTOVENTOというディスコのパイオニアとして知られるオーナーであるANTONELLO VERONA(アントネッラ・ヴェローナ)とまたポルトチェルボの有名レストランでヨットを愛するオーナーやクルーたちからも親しまれているお店"CLIPPER"のオーナー、SERGIO VOLPI(セルジョ・ヴォルピ)は昔、ホテルカーラ・ディ・ヴォルペのレストランの給仕頭から彼らのキャリアが始まり、彼等2人はその当時から大親友でした。
彼らのキャリアがレストランの給仕頭から始まり、それぞれが裸一貫から財を築いたと言う意味においても注目を浴びる事が多い2人なのですが、2人ともちっとも気取りが無くてそれどころか慎み思慮深いところがポルトチェルボの人々からもたいへん好感を得ています。
どちらかというとポルトチェルボでビジネスで成功している方たちはイタリア本土の北出身の方がほとんどでやはり元からの財力に加えて商才があるのも北出身と言われている中でアントネッロたちはサルデーニャ出身の人たちからヒーローのように称えられています。
ちょうど6月にアントネッロに会った時、一緒にアペリティーボをしながらインタヴューに応じてくれることを約束してくれたけれど、私の時間がさっぱり就かず時はすでに9月に入ってしまいましたが、いつか実現させたいと本当に思っています。

さてメルカートに話は戻して、今年はSOPRAVENTOのメルカートがポルトチェルボ中で常に話題に上がっていました。食材は全くなく、衣類、小物、アクセサリー、調度品等でまとめられています。
それでは少しメルカートの様子を写真で一気にご紹介。
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SOPRAVENTOのメルカートも広いので結構十分楽しめると思います。
無駄になっていたスペースを活かしてほんの閃きで大成功したメルカート。これから毎年ポルトチェルボのメルカートとしてどんどんと発展していきそうな気配です。
あと、若いながらにも商才のある人は画期的なアイデアで商売に結び付けてポルトチェルボで新しいビジネスを展開し成功している人たちも後々ご紹介させていただきますね。

いつもご訪問ありがとうございます。
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by portocervo1962 | 2010-09-03 10:12 | Costa Smeralda
2010年 09月 01日

メルカート カニッジョーネ

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Cannigione(カニッジョーネ)の町はまだ昔ながらの漁師の家並みが残っている古くからガルーラ地方文化を知る地元の方がまだ精力的に活動を続けている非常に地域に密着した町です。この町のCannigioneという名前の由来も昔Cannigione湾の入江近くに葦の木が密集していたことからイタリア語で葦の木(canne)から来ています。
かなり昔はマッダレーナ島に行くのに此処Cannigioneからフェリーが出ていたんですけれど、現在はPlau(パラウ)からマッダレーナ島へのフェリーが出ています。
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さてCannigioneのメルカートはサンパンタレオのメルカートよりも大きく新鮮な食材も豊富なので時間の都合がつく限り朝8時半ぐらいに着いて野菜・果物・チーズ類などをよく買い求めしたりしています。
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カニッジョーネも他のメルカート同じようにサルデーニャ伝統織物製品が購入できますが、こちらでは割とカーペットやカーテンとより生活に密着している商品群が多いように思います。シーツやテーブルクロスそして衣類も豊富です。
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そして手頃なかごバッグや帽子等も手頃な価格で提供してくれているので気軽に現地調達できるのも魅了ですよね。いつもリゾート地で過ごしていて思うことはリゾート慣れしている方たちは遊び心というかリラックス感もあって高価なものとチープなものとの使い分けが非常にお上手だなといつも感心しています。
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とにかく広く日用品も充実しているので楽しめるメルカートだと思います。
Cannigioneはメルカートだけではなく他にも要チェックのお店があります。9月にも入りまして多少時間もボチボチと取れそうなので近々ご紹介したいと思います。

いつもご訪問ありがとうございます。
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by portocervo1962 | 2010-09-01 07:18 | Gallura