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カテゴリ:Barbagia di Nuoro( 3 )


2011年 04月 20日

春爛漫 サックスの音色に酔いしれて

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Cala Gonone (カーラ・ゴノーネ)

もうすでにどこのビーチに訪れても人々が日光浴に勤しんでいる姿が見れるようになったほど、ここ数日最高の天気が続いている。
まだ海水は冷たいのでさすがに泳ぐには早いものの足先を波打ち際に浸けてみれば、まだ重ね着した服の上から浴びる
強い日差しで少し火照った体には足元から伝わるこのひんやり感が何ともいえない心地良さを与えてくれて気持ちがいい。

数日前もカーラ・ディ・ヴォルペホテルの近くのヴィラに住む私達の親友ジョルジャもポルトチェルボに戻ってきたので、先週末も皆でサルデーニャ島の中央東海岸を占めるオロセイ湾を望みながらDorgali(ドルガリ)のCala Gonone (カーラ・ゴノーネ)まで途中いろいろなビーチに立ち寄りながらも最高のドライブを楽しんだ。

少し靄がかかっていたCala Gonone (カーラ・ゴノーネ)の港であったけれど、それでもCala Gonone の美しさは相変わらず健在だった。

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by portocervo1962 | 2011-04-20 22:42 | Barbagia di Nuoro
2010年 09月 23日

Set in Sardegna

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オロセイ湾 Cala Luna

サルデーニャ島は一枚の写真絵葉書を構成する上でも絶好の被写体と景観を惜しみなく与えてくれ、また一本のフィルムを制作する上においても作り手のイマジネーションやイスピレーションを留めることなく掻き立てる場所としてよく知られていると思う。
故にサルデーニャは映画のロケ地としてよく利用されている。いや映画ばかりではなく、あらゆる撮影のロケーション地としてとりわけサルデーニャの海がテレビや雑誌に頻繁に登場しているのも事実ではなかろうか。

もともとサルデーニャは60年代初期頃までは羊飼いの生活や追い剥ぎやイタリア製のいわゆるマカロニ・ウエスタン調の西部劇を題材にした映画のロケ地としてよく使われていたが、1964年に制作された2本の映画によってサルデーニャの海岸線沿いの息を呑むような美しさが秘境の地として脚光を浴びだすようになる。

1本目はサルデーニャの南東にあるVillasimius(ヴィラシミウス)のPorto Giunco(ポルト・ジュンコ)がロケ地として使用された"La Calda Vita"(恋のなぎさ)。ベルギー出身のフランス女優Catherine Spaak(キャサリン・スパーク)主演、Florestano Vancini(フロレスターノ・ヴァンチーニ)(1926-2008)監督の作品である。

2本目は同じく1964年に制作された"Deserto Rosso"(赤い砂漠)。Monica Vitti(モニカ・ヴィッティ)主演、Michelangelo Antonioni(ミケランジェロ・アントニオーニ)(1912-2007)監督の初のカラー作品でもあり話題になった作品。尚この作品はベネチア映画祭金獅子賞を受賞している。
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L'isola Budelli

映画「赤い砂漠」のロケ地として使われたのはサルデーニャの北東にあるマッダレーナ諸島の一つBudelli島のある海辺である。以前にも書いたと思うが、マッダレーナ諸島のブデッリ島、サンタ・マリーア島、ラツォーリ島の一帯をazzurro "manto della Madonna"と昔から地元の人々からこう表現されている。それはキリスト教絵画の聖母マリアの青色のマントのように濃くとても深い青色をしていることからマドンナブルーと形容されているのである。
さて、そのある海辺とは"Spiaggia Rosa"(バラ色の海辺)として知られており、サンゴ類や浮遊性有孔虫の死骸によって波打ち際がピンク色に見えることでたくさんの人がこのピンク色に輝く海辺に訪れ、海辺の赤砂をペットボトルに入れて持ち去る人が途絶えなくなってしまったことから1994年から立ち入り禁止となり、現在は船上から鑑賞するのみになってしまったが、それでも毎年ブデッリ島に訪れる人は絶えないのである。
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Spiaggia Rosa

そして1970年代になると御馴染みの007シリーズ「私を愛したスパイ」1977年制作のLewis Gilbert(ルイス・ギルバート)監督、Roger Moore(ロジャー・ムーア)主演の作品ではエメラルド海岸のカーラ・ディ・ヴォルペ湾域をある1シーンのロケ地として使用されていた。
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カーラ・ディ・ヴォルペ エレファントロック

実はこのエレファントロックは名前のごとく像の形に見える事からそう呼ばれているのだが、カーラ・ディ・ヴォルペの隠れた名所なのである。
私たちも毎年カーラ・ディヴォルペのマリーナからカヌーでエレファントロックまでたどり着き、エレファントロックの水中を何度素潜りしたかわからない。

そしてカルトムービー的要素の強い1974年に制作されたイタリアはローマ出身の女性映画監督Lina Wertmuller(リナ・ウエルトミュラー)監督の作品"TRAVOLTI DA UN INSOLITO DESTINO NRLL'AZZURRO MARE D'AGOSTO"「流されて」はサルデーニャ島の東のオロセイ湾域が舞台となった。主演はGiancarlo Giannini(ジャンカルロ・ジャンニーニ)とMariangela Melato(マリアンジェラ・メラート)である。
この作品の脚本・監督を務めたLina Wertmullerはサルデーニャ島の東のオロセイ湾の粗削りで手付かずの大自然の醍醐味を感じさせるこの雄大な海岸線沿いにすっかり心を奪われ、またオロセイ湾の真珠とまで表現されるグリーンとコバルトブルーのコントラスが成す海の色と石灰質の荒々しい岩山にジネープロ(ビャクシン)や自生のキョウチクトウ等地中海潅木地帯が広がる景観は、フィルムが織成す虚構の世界と現実とを交差させる上で制作者にとっては理想の舞台となったのだろう。
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1974年制作「流されて」

そしてこのLina Wertmullerが1974年に制作した「流されて」にすっかり感銘を受けたイギリスの映画監督であり、アメリカのポップスター・マドンナの元夫であるGuy Ritchie(ガイ・リッチー)が2002年に「流されて」のリメイク版として「SWEPT AWAY」をマドンナを主演に起用して発表した。
しかしリメイク版「SWEPT AWAY」は2003年のラジー賞のワースト作品賞・監督賞を受賞しており、何かと話題をさらった作品として知られていると思う。
もちろんガイ・リッチーやマドンナもオリジナル版と同じようにオロセイ湾の海岸線沿いをロケ地として2001年に巡回している。
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映画「流されて」で当時ジャンカルロ・ジャンニーニが演じていた役をリメイク版では息子のアドリアーノ・ジャンニーニが演じている。
ちょうど先日もテレビでオリジナルの「流されて」が放映されていたが、何度観てもオロセイ湾の海岸線沿いの美しさには感嘆するばかりである。
そしてオロセイ湾の海岸線沿いはトレッキングコースとしても知られており、Cala Gonone (カーラ・ゴノーネ)からCala Luna(カーラ・ルーナ)の6.4kmのコースが特にお薦めだ。片道で2時間、往復で4時間。トレッキングをしながら視界に入ってくるパノラマがもう絶景なのである。
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Cala Fuili  オリジナル・リメイク版ともロケ地として使用。
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トレッキングコースからのパノラマ。

是非時間があれば、オリジナル・リメイク版合せてオロセイ湾の海岸線沿いの景観や海の美しさを意識しながらフィルムを鑑賞していただきたい。

そしてマドンナやガイ・リッチーをはじめとするロケクルーが宿泊した有名なカントリー・リゾートホテルをご存知だろうか。いろいろと雑誌などでも取り上げられているからご存知の方も多いだろうと思うが、実はこのカントリ・・リゾートホテルはエメラルド海岸と縁(ゆかり)のあるホテルだったことはあまり知られていないように思うのだが。
次回はこのホテルについて少しお話したいと思う。


いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2010-09-23 09:03 | Barbagia di Nuoro
2010年 09月 16日

カント・ア・テノーレスの町 BITTI

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毎年9月から12月の毎週末に催されるサルデーニャ島は内陸のバルバージャ地方の秋の商業文化的イベント"Cortes Apertas"(公開された中庭)が現在開催されている。
サルデーニャ島の中部ヌーオロ県のASPEN(Azienda Speciale Promozione Economia Nuorose)=(ヌーオロ県の商業プロモーション特別事務局)が主催しており、ASPENは1995年から活動しているヌーオロ県の農業、手工芸、製造業者の分野で組織されている商工会議所の特別事務局で"Cortes Apertas"も今年で13回目を迎えますます活気を見せている。

Cortes Apertasはサルデーニャの内陸地方の農牧業文化の歴史の中で何千年も引き継がれてきた真の伝統を通してすばらしい味覚や伝統的習俗に公然と出会う機会を私たちに与えてくれる。
毎年バルバージャ地方に属する26~28地域の町が参加し、それぞれ特色ある個々の伝統文化が一挙に公開されている。
私たちもCortes Apertasには毎年時間の都合が付く限りなるべく訪れているが、毎回何かしら新鮮でかつ新しい発見があり、サルデーニャの内陸地方の文化は本当に奥が深く、イタリアであってイタリアではないサルデーニャ独自の卓越した土着文化がそれぞれの町に個々に存在しているのはまさに見ものである。
先日の9月11日(土)にヌーオロ県の北東に位置しているBitti(ビッティ)のCortes Apertasに今回初めて訪れてみた。ちょうど北のガルーラ地方との境にあることもあって私たちの住むポルトチェルボからだと車で1時間程で着いただろうか。

Bittiの町は広範に広がる緑深い松林に3つの丘、Buon Cammino, Monte Bannitu, Sant'Eliaの丘に取り囲まれた谷間に町並みがまるできざはしのように横たわる人口3,400人ほどの集落である。
Bittiは現在においても家畜の養殖が主な活動源であり、昔から今も乳酪農生産に伝統文化の基準点を置いている。
Bittiとはサルデーニャ語で雌の子鹿のことを指し、その昔水汲み場で水を飲んでいた子鹿が猟師によって殺されたという伝説を歌った詩歌から来ているそうだ。
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さてBittiの集落の中心となるのがGiorgio Asproni広場。Giorgio Asproni(1808-1867)はBitti出身のイタリアの政治家で偉大な自治論者であり、ゆるぎない共和制主義者であったという。
私たちが最初に訪れたのがこの広場の真向かいにあるBittiの町の伝統的民族衣装が展示してあるフォークロアグループが主催する展示館。ちょうど民族衣装を纏った新郎新婦が中庭で写真撮影に協力していた。
そしてGiorgio Asproni広場からBittiの旧市街地に入るとMuseo della civilta' Contadina(耕牧文化博物館)があり、ここには70~80年代の建築技法を施したBittiの地域の昔の暮らしの伝統様式が伺える20の部屋からなる博物館で修復もすでに済まされており、保存状態もとてもよい見ごたえのある博物館である。
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花崗岩の階段とアーケードがすぐに視界に入り、博物館の入り口は小さいが奥行きがあって少し他のヌーオロの地域と比べると違った印象があり、やはりサルデーニャの北部に近いせいか幾分ガルーラの内陸部に近いイメージがある。
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階段を上がって2階の部屋はほとんど天井の梁も床も栗の木が使用されており、天井の葦の木の覆いはやはりサルデーニャの代表的な伝統的手法であると言える。
台所、居間、寝室、仕事場、キリスト教崇拝の間などそのころの生活の様子が伺えるようによく構成されている。
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さてサルデーニャのBittiと言えば、すでにご存知の方もいると思うがサルデーニャの伝統の概観を語る上で重要な役割を占め、彼らの文化の古代起源の重要な証拠の象徴でもある"Il canto a tenores"の町としてよく知られているのである。
"Il canto a tenores"とは男性の四声部で成り立っている男性多声合唱(ポリフォニー)でグレゴリ聖歌が広まる以前から伝統的に歌われていたとされる古いものであるらしい。この旋律的な声学の表現形式の時代区分を遡らせるはっきりとした年代学上の具体的な資料は何もないが、いくらかの証言によるとサルデーニャにおいての中・後期青銅器時代のヌラーゲ文化の時代まで遡ると言われている。
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実際、テノーレスのメンバーの4人はヌラーゲの建築様式の基本とされる円錐形の形を模してか必ず円陣を組んで歌われているのはたいへん興味深いところ。
テノーレスの4つのパートはBassu(バス)(牛)、 Contra(バリトン)(羊)、 Mesu boche(アルト)(風)、Oche(ソリスト)(人間の声)で構成され、自然の音色をうまく模倣している。
Bittiにはカント・ア・テノーレスのグループが4つあり、今回私たちがBittiに訪れた時にテノーレスを歌い上げていたのが一番若手の2006年に結成されたグループTenore Monte Bannitu。グループ名はBittiの町の丘のひとつMonte Bannituから来ている。写真に写っているのはグループMonte Bannitu
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Bittiのテノーレスで最も古く歴史あるクループが"Remunnu 'e Locu"。1974年結成された30年の歴史あるグループ。毎年8月29日にヌーオロで行われる救世主イエスの宗教儀式を兼ねてのお祭りSagra di Redentore(救世主のお祭り)で6年続けて優勝した実力グループで、グループ名の"Remunnu 'e Locu"はBitti出身の即席詩人Raimondo De Loguの名に捧げられている。
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そして2007年には日本でもすでに公演してテレビ出演も積極的に行っているグループTenore Mialiu Pira。このグループは1995年に結成され、彼らのグループ名はBitti出身の作家であり、人類学者、また政治家でもあったMichelangelo<Mialiu>Piraの名から来ている。
3番目のグループはSantu Jorgeddu 'e Dure。Remunnu 'e Locuが1995年よりBittiの市役所に協力してCanto a Tenoresの原理体系を指導するコースを主催していた時に先生として指導していたメンバーたちが結成して出来たグループ。Santu Jorgeddu 'e Dureのクループ名はイタリア語でSan Giorgio di Dureを指し、昔Bittiに存在していた村Dureの村の聖人ジョルジョの伝説から名を取ったと言う。
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4番目のグルーMonte Bannituは2005年~2006年の間、Remunnu 'e Locuが主催する学校の生徒たちであった。ただしMonte Bannituの彼等はカント・テノーレスの声楽を4年以上学んでいると言っていた。

サルデーニャの凛々しい伝統衣装に身を包んだ若者たちが長年大切に引き継がれてきている伝統文化を後年にも自分たちの新しい感性でさらに伝えていこうとしている姿はまぶしくて輝かしいものがある。
サルデーニャの若い世代の人は自分たちの生まれ育った町の文化や風習を本当に尊重していて誇りに思っていることがこういうお祭りに訪れるたびに改めて実感させられるのである。
実際間近で聴くとすごい迫力で、機会があればサルデーニャのどこかの教会か旧市街地で彼らの生の歌声を是非聴いてもらいたい。






Bittiを去ろうとする時にはすでに薄暗くなっていて、足早に歩を進めていたら突然照明に照らし出されていたテノーレスのグループRemunnu 'e Locuの写真を壁に見つけた。

Bittiの町は正真正銘のIl canto a tenoresの町だった。



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Il canto a tenoresはUNESCO(ユネスコ)に2005年「人類の口承及び無形遺産の傑作」に認定されている。


いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2010-09-16 00:52 | Barbagia di Nuoro