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2010年 10月 11日

バルバージャの復讐の掟

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オルゴーゾロの町中にある上の写真の壁画は、1961年制作のイタリアはパレルモ出身の映画監督Vittorio De Seta(ヴィットーリオ・デ・セータ)のフィルム「Banditi a Orgosolo」(オルゴーゾロの盗賊)を描いている。
監督のVittorio De Setaは自らオルゴーゾロの山中に潜入し、1950年代中頃のオルゴーゾロに棲む羊飼いの生態をイタリアのネオレアリズム映画の定義を通して現代的な感覚かつドライな文体論的長編フィルムに仕上げている。
尚、この作品は毎年イタリア映画批評家が投票して選ぶシルバー・リボン賞の1962年最優秀撮影賞、そしてヴェネツィア国際映画祭においても1961年新人監督賞を受賞している。

サルデーニャはイタリア統一運動(リソルジメント)により、1861年サヴォイア朝イタリア王国が初代国王Vittorio Emanuele Ⅱ(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世)(在位1820-1878)により成立するが、軍隊解体後は多くの人が職を失い、政治の結束は実質的な変化をもたらさなかった。
特に1865年に国が公布した土地改良法の法律によりサルデーニャの農村部に住む人々に大きな被害を与えた。
それは従来農民たちにとっての共有領地やまた個人の所有領地までもがこの法律により森林資源の利用を目的とした企業に悪用されたからである。主には鉱物製品の加工処理のための木材の活用、またサルデーニャの木材は長い間、全ヨーロッパの鉄道線路のまくら木としても活用されていた。
これにより1868年にヌーオロで民衆による暴動が再び土地の共有化を求め"Su Connottu"は起きた。
1800年代後期サルデーニャの経済はさらに厳しく後退した。1880年代の農業恐慌、フランス国との関税率の闘争、サルデーニャの主要銀行の破産と、主には農業経済上の不足が原因で農民の生活を一層と厳しいものへと追いやった。
この生活の貧困からくる飢えと不幸は民衆を襲うような匪賊行為を引き起こすようになり、このことによりサルデーニャの農村部での犯罪行為や盗賊行為の現象をさらに増大させた。
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サルデーニャにおいての盗賊行為は1800年代の半ばバルバージャ地方のオリエナで生まれ、オリエナに隣接する町オルゴーゾロの地域で最も多発したと言われ、家畜窃盗、強盗、恐喝、誘拐、殺人と300以上の血生臭い事件が記録として残されている。
1800年代後期は農民による盗賊行為の犯罪ブームがもっとも巻き起こった時期で、その後もたくさんの伝説化された盗賊が生まれた。
そして戦後サルデーニャで最も悪名高い有名なオルゴーゾロ出身の盗賊として知られるGraziano Mesina(グラツィアーノ・メジーナ)(1942~)は今日まで大胆不敵な逃亡を繰り返し、計40年間の刑務所暮らしに15回の脱走を試みた中、9回の逃亡生活を繰り広げPrimula rossa(なかなか捕まらない人)として有名である。尚、Mesinaは地元オルゴーゾロではGrazianeddu(グラツィアネッドゥ)と呼ばれている。
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l'hotel Luci di La Muntagna

そしてエメラルド海岸域にも1960年代後半から90年代の初頭まで富裕層を狙った誘拐事件が多発した。
最も記憶に新しいところでは1992年に起きたアガ・ハーン4世の従弟に当たるその当時7歳の少年Farouk Kassam(ファルーク・カッサム)が誘拐された事件である。
Farouk Kassamの家族はその当時エメラルド海岸に1965年に建築家Michele Busiri Viciによって設計された、ちょうどポルトチェルボの教会Stella Marisの真向かいに位置する4星ホテルLuci di La Muntagnaを営んでいた。
Kassam家族はポルトチェルボの高台にあるPantoggiaという地区に彼らの別荘も所有していて、ある夕食の準備時に庭で遊んでいたFarouk少年が誘拐されたのである。
この誘拐事件の主犯はMatteo Boe、そしてKassam家族と誘拐犯グループの仲介に入ったのがGraziano Mesinaである。
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少年Farouk Kassam

囚われの身で拘束されていた投獄中の7歳の少年の左上の耳の一部を切断し、切断した耳の一部を封筒の中に入れて少年の両親に送り付けた話は有名で、結局Farouk少年は拘束から開放され、無事に身柄が保護されるが今現在大人になってメディアを通して映るFarouk青年の左耳の上部には昔の事件の痛ましい傷跡が今でも残っているのである。
私の夫家族の知人・友人家族の中には誘拐されて、帰らぬ人になってしまった人もいる。
残忍、凶悪なこの凄まじいこれらの事件は残された遺族の人たちの中に痛ましく、やりきれない思いとともに永遠に取り残されているのである。
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逮捕されるGraziano Mesina

Banditismo(バンディティズモ)(盗賊行為)それはサルデーニャの歴史を語る上である一つの重要な側面であり、これほど大衆の好奇心を煽りたてる主人公たちも、殊にバルバージャ地方においては盗賊たちの行為が伝説化され、詩の中で偉大な英雄として称賛されている。

羊飼いや農民の閉鎖的な社会関係を形成する共同体の世界には、何千年にも続く非常に拘束力のある、まったく有無を言わせない名誉のおきてなる規律が存在する。

・復讐は共同体全体で責任を負うべき正義にかなった行為である。
・侵害された時は復讐(あだ討ち)とともに、すぐに被害を元に戻すべき権利がある。
・損害・侵害・侮辱の類はすぐに行動に移し、復讐しなければならない。
・復讐の尺度は受けた侵害に見合った程度と同様に、非常に慎重かつ斬新的な形を取って遂行されなければならない。

しかし羊飼いや農民の共同体が作り上げた名誉のおきてなるものがたくさんの悲劇を生んだ事は確かなのである。


そして私たちはGraziano Mesinaの故郷オルゴーゾロに先日訪れた。


いつも訪問ありがとう。

<参考文献>Il codice della vendetta barbaricina di Antonio Pigliaru
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by portocervo1962 | 2010-10-11 02:24 | Barbagia