2012年 07月 26日
1950年代のサルデーニャ島北東地域のガルーラ地方はまだ未開の荒野で何も無かったも同然だった。 Arzachena(アルザケーナ)の町でタバコ屋を営むLuigino Demuro(ルイジーノ・デムーロ)から42haのモルトーリオ島を3百万リラ(約千5百ユーロ)で購入したと言われている。 ※メディア上では3百万リラを支払ったという説が出回っていますが、実際にメンタスティ家族に確認したところ50年代のサルデーニャ島はマラリアが猛威を振るっていたので、3百万リラ相当の製薬品と引き替えにモルトーリオ島を譲り受けたというのが本説です。 そしてDemuroは島と引き替えに得た製薬品をマラリアに冒された人々に販売していたそうです。 1961年、この時代のガルーラ地方の土地の価格はとても安価で1haで50万リラ(約250ユーロ)。しかしすぐに地価は跳ね上がり1haで5百万リラ(約2千5百ユーロ)となる。 60年代当初はアガ・ハーン4世をはじめとした創設者達の友人・知人たちのみで、後には徐々にイタリア人の上流・中流中産階級の人々もサルデーニャのガルーラ地方に不動産投資に訪れるようになった。 夢の実現の為にアガ・ハーン4世らが土地を買占め始めた60年代初頭、Liscia Ruja(Long Beach)あたり一帯の土地を所有していた羊飼いのSalvatore Ghilardi(サルバトーレ・ギラルディ)はアガ・ハーン4世のMiliardi(ミリアルディ)という10億単位での土地購入の申し出をMilioni(ミリオーニ)100万単位でなければ譲らないと言い張ったと言う伝説が今でも残されている。 60年代初頭、放牧のみで生計を立てていた羊飼いの世界ではMiliardi(ミリアルディ)という言葉が公用語として流布していなかったという現実があったのである。 真のジェット・セットたちのみの地中海の高級保養地を作り上げることがハーバード大学卒業したてのアガ・ハーン4世の念願の夢だった。貴族や大実業家達が創り上げた小さな夢の楽園エメラルド海岸は瞬く間にヨーロッパをはじめとした世界中のジェット・セットたちに浸透していった。 今年で創設から50年目に当たる2012年の春にエメラルド海岸のオーナーが新たに変わった。 実質的にはこの2012年のシーズンが終えてからの公的な舵取りが成される。 昨年の2011年からオーナーが変わる事はすでに私達には知らされていた。 タックスリゾート地のルクセンブルクを本拠とした金庫室からソブリン・ウエルス・ファンドの巨大な資金を引っさげたオランダの金庫室へと変わり管理組織図も全て一変された。 靄の中に立ち込める孤島の一帯は昔も現在もぼんやりとかすみながらも依然として整然とした美しさを醸し出している。 創設から50年目の節目に今一度記憶を辿りながら、今後どう方向転換されていくのかをいよいよお話していこう。 Misty- Stephane Grappelli & Michel Petrucciani いつも訪問ありがとう。
by portocervo1962
| 2012-07-26 06:44
| Costa Smeralda
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