2012年 02月 01日
その曲がしばらく耳元から離れなくて、結局は彼女のアルバムを初めていろいろと傾聴するきっかけをその曲が与えてくれた。 昨年の夏、親友のシモーナと働いていた時に、確か7月23日だったかネットでニュースを閲覧していたシモーナから突然、 Amy Winehouse が亡くなった事を聞いた時、薬物やアルコールの過剰摂取をはじめプライベート等でいろいろと必要以上に世間からいつも取り沙汰されていた彼女だったから、いつか何かが起こってもおかしくないと予期していただけに、また若干27歳という若さで命を絶ってしまったという訃報を知ってなおさら胸が詰まる思いだった。 私の周りの友達も、彼女のプライベートの真偽がどうであれ、彼女のミュージシャンとして天賦の才を誰もが認めていたので、 稀に見る才能を失くした事実に皆ショックを隠しきれなかった様子だった。 イタリアでも2006年から2007年にかけてはテレビやカーラジオからAmy Winehouse の曲が頻繁に流れるようになり、あまりにもメジャーになりすぎてしまうと楽曲の独自性が大衆化されてしまって何となくポップス・ミュージックの一員として化してしまう感もあって、じっくりと聴き入る機会をあえて設けてこなかったという本音が実は自分の中にあった。 先週末の寒い晩に家に友達を数人呼んで食事をして、食後には皆、暖炉の前に移動して食後酒のミルト酒を飲みながらいろいろと談義をしていたときに、ふとAmy Winehouse の曲を耳障りにならない程の低音量で流してみた。 そして「Love is a Losing Game 」(愛は勝ち目のないゲーム)の曲のアコースティック・バージョンが流れ出した時 パオロがすかさず口を開いた。 「僕、彼女の曲の中でこの曲が一番好きなんだよね。特にこのアコースティック・バージョンは本当に心に染み入るよね。」 精神的な脆さや弱さ、傷つきやすさをフラジリティと言うならば、フラジリティは完璧を成さない断片性に常に支えられているという。 カーラジオから「Love is a Losing Game 」(愛は勝ち目のないゲーム)が初めて聞こえてきた時に、決して報われる事のないひたむきな想いをアコースティックをバックに歌い上げる彼女の歌声があまりにも心に響いたのである。 Love is a Losing Game いつも訪問ありがとう。
by portocervo1962
| 2012-02-01 06:25
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