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2010年 09月 16日

カント・ア・テノーレスの町 BITTI

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毎年9月から12月の毎週末に催されるサルデーニャ島は内陸のバルバージャ地方の秋の商業文化的イベント"Cortes Apertas"(公開された中庭)が現在開催されている。
サルデーニャ島の中部ヌーオロ県のASPEN(Azienda Speciale Promozione Economia Nuorose)=(ヌーオロ県の商業プロモーション特別事務局)が主催しており、ASPENは1995年から活動しているヌーオロ県の農業、手工芸、製造業者の分野で組織されている商工会議所の特別事務局で"Cortes Apertas"も今年で13回目を迎えますます活気を見せている。

Cortes Apertasはサルデーニャの内陸地方の農牧業文化の歴史の中で何千年も引き継がれてきた真の伝統を通してすばらしい味覚や伝統的習俗に公然と出会う機会を私たちに与えてくれる。
毎年バルバージャ地方に属する26~28地域の町が参加し、それぞれ特色ある個々の伝統文化が一挙に公開されている。
私たちもCortes Apertasには毎年時間の都合が付く限りなるべく訪れているが、毎回何かしら新鮮でかつ新しい発見があり、サルデーニャの内陸地方の文化は本当に奥が深く、イタリアであってイタリアではないサルデーニャ独自の卓越した土着文化がそれぞれの町に個々に存在しているのはまさに見ものである。
先日の9月11日(土)にヌーオロ県の北東に位置しているBitti(ビッティ)のCortes Apertasに今回初めて訪れてみた。ちょうど北のガルーラ地方との境にあることもあって私たちの住むポルトチェルボからだと車で1時間程で着いただろうか。

Bittiの町は広範に広がる緑深い松林に3つの丘、Buon Cammino, Monte Bannitu, Sant'Eliaの丘に取り囲まれた谷間に町並みがまるできざはしのように横たわる人口3,400人ほどの集落である。
Bittiは現在においても家畜の養殖が主な活動源であり、昔から今も乳酪農生産に伝統文化の基準点を置いている。
Bittiとはサルデーニャ語で雌の子鹿のことを指し、その昔水汲み場で水を飲んでいた子鹿が猟師によって殺されたという伝説を歌った詩歌から来ているそうだ。
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さてBittiの集落の中心となるのがGiorgio Asproni広場。Giorgio Asproni(1808-1867)はBitti出身のイタリアの政治家で偉大な自治論者であり、ゆるぎない共和制主義者であったという。
私たちが最初に訪れたのがこの広場の真向かいにあるBittiの町の伝統的民族衣装が展示してあるフォークロアグループが主催する展示館。ちょうど民族衣装を纏った新郎新婦が中庭で写真撮影に協力していた。
そしてGiorgio Asproni広場からBittiの旧市街地に入るとMuseo della civilta' Contadina(耕牧文化博物館)があり、ここには70~80年代の建築技法を施したBittiの地域の昔の暮らしの伝統様式が伺える20の部屋からなる博物館で修復もすでに済まされており、保存状態もとてもよい見ごたえのある博物館である。
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花崗岩の階段とアーケードがすぐに視界に入り、博物館の入り口は小さいが奥行きがあって少し他のヌーオロの地域と比べると違った印象があり、やはりサルデーニャの北部に近いせいか幾分ガルーラの内陸部に近いイメージがある。
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階段を上がって2階の部屋はほとんど天井の梁も床も栗の木が使用されており、天井の葦の木の覆いはやはりサルデーニャの代表的な伝統的手法であると言える。
台所、居間、寝室、仕事場、キリスト教崇拝の間などそのころの生活の様子が伺えるようによく構成されている。
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さてサルデーニャのBittiと言えば、すでにご存知の方もいると思うがサルデーニャの伝統の概観を語る上で重要な役割を占め、彼らの文化の古代起源の重要な証拠の象徴でもある"Il canto a tenores"の町としてよく知られているのである。
"Il canto a tenores"とは男性の四声部で成り立っている男性多声合唱(ポリフォニー)でグレゴリ聖歌が広まる以前から伝統的に歌われていたとされる古いものであるらしい。この旋律的な声学の表現形式の時代区分を遡らせるはっきりとした年代学上の具体的な資料は何もないが、いくらかの証言によるとサルデーニャにおいての中・後期青銅器時代のヌラーゲ文化の時代まで遡ると言われている。
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実際、テノーレスのメンバーの4人はヌラーゲの建築様式の基本とされる円錐形の形を模してか必ず円陣を組んで歌われているのはたいへん興味深いところ。
テノーレスの4つのパートはBassu(バス)(牛)、 Contra(バリトン)(羊)、 Mesu boche(アルト)(風)、Oche(ソリスト)(人間の声)で構成され、自然の音色をうまく模倣している。
Bittiにはカント・ア・テノーレスのグループが4つあり、今回私たちがBittiに訪れた時にテノーレスを歌い上げていたのが一番若手の2006年に結成されたグループTenore Monte Bannitu。グループ名はBittiの町の丘のひとつMonte Bannituから来ている。写真に写っているのはグループMonte Bannitu
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Bittiのテノーレスで最も古く歴史あるクループが"Remunnu 'e Locu"。1974年結成された30年の歴史あるグループ。毎年8月29日にヌーオロで行われる救世主イエスの宗教儀式を兼ねてのお祭りSagra di Redentore(救世主のお祭り)で6年続けて優勝した実力グループで、グループ名の"Remunnu 'e Locu"はBitti出身の即席詩人Raimondo De Loguの名に捧げられている。
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そして2007年には日本でもすでに公演してテレビ出演も積極的に行っているグループTenore Mialiu Pira。このグループは1995年に結成され、彼らのグループ名はBitti出身の作家であり、人類学者、また政治家でもあったMichelangelo<Mialiu>Piraの名から来ている。
3番目のグループはSantu Jorgeddu 'e Dure。Remunnu 'e Locuが1995年よりBittiの市役所に協力してCanto a Tenoresの原理体系を指導するコースを主催していた時に先生として指導していたメンバーたちが結成して出来たグループ。Santu Jorgeddu 'e Dureのクループ名はイタリア語でSan Giorgio di Dureを指し、昔Bittiに存在していた村Dureの村の聖人ジョルジョの伝説から名を取ったと言う。
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4番目のグルーMonte Bannituは2005年~2006年の間、Remunnu 'e Locuが主催する学校の生徒たちであった。ただしMonte Bannituの彼等はカント・テノーレスの声楽を4年以上学んでいると言っていた。

サルデーニャの凛々しい伝統衣装に身を包んだ若者たちが長年大切に引き継がれてきている伝統文化を後年にも自分たちの新しい感性でさらに伝えていこうとしている姿はまぶしくて輝かしいものがある。
サルデーニャの若い世代の人は自分たちの生まれ育った町の文化や風習を本当に尊重していて誇りに思っていることがこういうお祭りに訪れるたびに改めて実感させられるのである。
実際間近で聴くとすごい迫力で、機会があればサルデーニャのどこかの教会か旧市街地で彼らの生の歌声を是非聴いてもらいたい。






Bittiを去ろうとする時にはすでに薄暗くなっていて、足早に歩を進めていたら突然照明に照らし出されていたテノーレスのグループRemunnu 'e Locuの写真を壁に見つけた。

Bittiの町は正真正銘のIl canto a tenoresの町だった。



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Il canto a tenoresはUNESCO(ユネスコ)に2005年「人類の口承及び無形遺産の傑作」に認定されている。


いつも訪問ありがとう。
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by portocervo1962 | 2010-09-16 00:52 | Barbagia di Nuoro


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