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2010年 06月 22日

ヌラーゲ Santu Antine

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先日、Sorresのサンピエトロ教会に訪れた時を利用して、Torralba(トラルバ)のヌラーゲ遺跡Santu Antineにも訪れてみた。

ヌラーゲSantu Antineの発掘作業は御馴染みのイタリアの考古学者Antonio Taramelli(1868-1939)によって1935年に発掘され、続いて1964年には発掘と修復がフイレンツェ出身のこれまた有名な考古学者Guglielmo maetzk(グリエルモ・メツケ)(1915-2008)によって行われたがSantu Antineのヌラーゲ遺跡下、周辺にはまだたくさんの遺跡が残存していることがはっきりと確認されており、今後も考古学者研究グループによって発掘作業は継続されるらしい。
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Santu Antine 上空からの眺望
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Santu Antine 平面図

ヌラーゲの城砦は中央に聳える切頭円錐形の塔A(直径15,50m、高さ18m)を中心に中裂片状に3つの塔B,C,Dによって構成されている。中央の塔Aの建造は一番古くおよそ紀元前16世紀頃のものとされている。
城砦の周囲には11から14の円形、または長方形のcapanna(藁屋根の小屋)が建てられていたようだが、ほとんどがcapannaの土台となる石の基部だけを確認する事が出来る。
このcapannaと呼ばれるものは住居として使用されていて内部には炉やベンチや仕切り壁などが設けられていたようだ。
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  円形のcapanna
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長方形のcapanna

ヌラーゲの周辺には必ずcapannaの集落が形成されており、人々が家畜と一緒にcapannaで生活を営みヌラーゲの城砦から敵を監視していたのではないかという。
尚、ヌラーゲ周辺の集落は紀元前13世紀から9世紀の間に建造されたものとされている。

さてヌラーゲの城砦でもっとも古い建造とされている塔Aは3階建てで上部にはテラスが設けられており、粗削りされた玄武岩のブロックを円錐形に積み上げ建てられている。
ヌラーゲSantu Antineの入り口は南に置かれ、まぐさ石を配した長方形の形に梁の上には小さな窓が設けられていた。また入り口の左側には大きなニッチが備え付けられていた。
入り口を抜けるとすぐに半円形の中庭で、中庭の左手には深さ20mほどの井戸がすぐに視界に入る。また紀元前4世紀頃になると半円形の中庭を共同墓地として活用していたらしい。
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ヌラーゲSantu Antineにはもう一つ井戸があり、塔Dの小部屋の中に手すり付きの井戸も設けられていた。
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中庭からはそれぞれの塔にアクセスするための回廊が設けられており3つの出入り口によって分かれていた。
またヌラーゲSantu Antineの城砦の外壁には44もの小窓の形をした銃眼が設けられている。
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塔Cから塔Dに渡る回廊
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部屋の向こうにも銃眼が。

塔Aには2つの部屋が設けられており、1階の部屋は通路によって通り抜けが出来るようになっていて中央には螺旋階段によってテラスまで出られるようになっている。
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螺旋階段
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ヌラーゲSantu Antine断面図

そしてトロス式ヌラーゲの特徴でもある半円筒の擬似アーチは先史時代の石造建築を語る上で重要かつ高度な技術の模範として見逃してはならないだろう。

しかしヌラーゲの建造された方角については、イギリスのストーンヘンジで言われる巨石遺跡の上を通る直線が春秋分点と夏至・冬至の日の出と日の入りの方角を示すというレイラインに基づくという説と同様にやはり北西(夏至の日没)と南東(冬至の日昇)を繋ぐ直線を古代サルデーニャでも意識していたのだろうか。
いずれにしても巨石遺跡全般に太陽信仰と天体の運行を重視した説が妥当だと考えられているようだ。

<参考文献>il nuraghe Santu Antine Ercole Contu
Carlo Delfino editore
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by portocervo1962 | 2010-06-22 09:13 | Nuraghe


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