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2012年 03月 01日
春陰
2月の初旬に降り積もった雪が雪解けして、山の麓や雪渓から雪解け水が沼地に流れ入り、沼地から海辺にへと水が氾濫した為に出来た小さな河口が今年は所々のビーチで見かけられた。河口の水面にはもつれた白い巻き雲がどんよりとした雲を覆うように春の曇りがちな空を映し出していた。
雪解け後の毎週末は小さな春を見つけに山野や海辺に散策に出かける度に、必ず自分たちと同じように春を待ちきれんとばかりに訪れていた人々と出会った。
やはり春を待ちわびる思いは皆一緒なのだと思った。
気が付けばもう3月で、日本だと年度替りの時期。また卒業式や送別会もたくさん行われ別れと出会いの月でもある。

日本から遠く離れていてもこの3月の時期になると私も昔の数々の忘れられない別れと出会いの思い出に春を慈しみながら回想することがある。
再会する事はとうてい難しい旧友たちをなつかしみながらも、特に3月11日の被災地近くに実家を持つ旧友の一人のことがやはり今でも気掛かりなのである。
もうあれから1年が経とうとしている。
決して忘れてはならないあの日から。



MY FRIEND- Irma

I know (Clip officiel)-Irma




いつも訪問ありがとう。

# by portocervo1962 | 2012-03-01 07:04 | A proposito di me | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 24日
made in Senegal?
カブラス潟

サルデーニャのオリスターノ県にあるCabras(カブラス)は漁師の村としてよく知られているが、またサルデーニャの特産品の一つでもあるボッタルガ(からすみ)の産地としても世界的に有名である。
もともとは水夫や漁師たちが長く陸から離れて生活する上での日持ちする身近な食材として昔から親しまれてきたのが、今やボッタルガは地中海のキャビアとも呼ばれたりしながら珍重な高級食材として世界中の食卓に上るようになり、これもサルデーニャの漁師達の伝統や習俗と密接に結びついた知恵と技術の産物であることは確かなのだろう。

地図で確認してもわかるようにサルデーニャは海に隣接した潟や池沼が多く形成されていて、潟漁が昔から盛んである。
ボッタルガ(からすみ)はメスのボラの卵巣を洗浄し、塩漬け、乾燥、熟成して加工されたものであるが、ボラは淡水と海水が混じる水域を行き来する汽水魚として、主にサルデーニャの南部の潟や池沼で活発に漁獲生産され、
ボラのボッタルガの加工製造業者もほとんどが南部に集中している。
オリスターノ県のカブラス潟(Stagno di Cabras)をはじめカリアリのサンタ・ジッラ潟(Stagno di Santa Gilla)や南東部オリアストラ県のトルトリ潟(Stagno di Tortolì )地域の加工製造業者はよく知られている。

サルデーニャの特産品はワイン、チーズ、オリーブ・オイル、パスタと食品部門だけでも数知れずあるけれど、中でも
ボラのボッタルガはレストランや友達を招いてのディナーでもアンティパスト、プリモと出番も多く、お土産としても人気を博している。

私も好んでボラのボッタルガを食材としてよく利用するが、実際のところ当たり外れもあってよく熟成されて旨味が引き出された
ボッタルガに出会うべくいろいろなメーカーを試していた2年前のある日あることに気付いた。


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# by portocervo1962 | 2012-02-24 10:19 | Sardegna | Trackback | Comments(2)
2012年 02月 17日
Binòcoloの向こう側 Cala Sabina
私の義母には義父と別れた後15年間ずっと一緒に連れ添ったトスカーナ出身のアンブロージョという男性がいた。しかしながらアンブロージョは長い間病臥に伏している妻がいる身であったため、トスカーナの家を拠点として、義母が住むローマの家に行き来しながら、さらには毎夏の1ヶ月間はサルデーニャの家で私達家族と共に過ごしていた。

2010年の春86歳でアンブロージョが逝去してからも、私達家族は毎年変わらず同じように夏の時期を一緒に過ごすけれど、毎年滞在していたアンブロージョが残していった遺品の数々が今も部屋の所定の位置に置かれていて、時折アンブロージョの遺品に触れては彼と過ごした日々のことを今でも回想することがある。

アンブロージョは毎朝、遅めのゆっくりとした朝食が済むといつもリビングの窓越しから、彼がずっと愛用していたBinòcolo(ビノーコロ:双眼鏡)を通してその日の天候や海の荒れ模様などを確認する習慣があって、それは何も天候だけに限らず、おそらくBinòcolo通していろいろなものをアンブロージョは眺めていたのだろうと思う。

仕事がオフのある日、私も遅めの朝食をアンブロージョと一緒に取り、朝食が済むとリビングの脇にあるサイドテーブルにいつも置かれているBinòcoloを手にして、いつものように窓越しから遠方の景色に焦点を合わせながらレンズ越しにしばらく何やらをずっと眺めていたアンブロージョ。
その後、すぐに私にもBinòcoloである物を覗いて見るように言われて、アンブロージョが定めたポイントをそのままにして
Binòcoloのレンズの向こう側を覗いて見ると、そこには真っ白に輝く美しい砂浜に白塗りされた海の家がポツリと佇んでいた。
聞くところによるとアンブロージョはちょうど6年前頃から、この私達の住む家のちょうど遥か向かい側にあるこの白く輝く美しいビーチの存在に気付いていて、いつもBinòcoloのレンズ越しから気にしていたという。

アンブロージョは昔の古き良きイタリアの時代の教養のある紳士という言葉がまさにぴったり当てはまるような人で、トスカーナ人特有の辛辣な毒舌家に加え、何事にも深いところまで常に掘り下げて根本的に考えるような人だった。
そしていつも「今のイタリアは本当に損なわれてしまった。今の若者はすっかり気骨のある奴が少なくなって、甘えた奴ばかりだ。移民たちの飢えの精神をもっと見習うべきなんだ。」というのが口癖で、義母のローマの家やサルデーニャの家でも家政婦をしているフィリピン人やカーボベルデ人たちといつも親しげに会話を楽しむような人だった。

昨年の12月のある時、私の夫がアンブロージョと同じようにBinòcoloのレンズの覗きながら、「ねぇ、知ってる? 僕達の家のちょうど向かい側に当たる所に、見事な白砂のビーチが見えるんだけど、位置的にはGolfo Aranci(ゴルフォ・アランチ:アランチ湾)になるわけだから、近々見に行ってみない?ずっと気になっていたんだよね。」

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# by portocervo1962 | 2012-02-17 02:30 | Gallura | Trackback | Comments(2)
2012年 02月 07日
FURBO(フルボ)
日曜日の朝起きたら家の庭が一面雪で覆われていました。
昨年も確か2月のこのぐらいの時期に私達の住むエメラルド海岸にも雪が降ったのですが、年に一度だけ粉砂糖でほんのりと
覆われたようなわずかな雪ですが、それでも生活に支障を来たす雪といえども海辺の生活をしながら少しだけ雪景色を楽しむことが出来ました。
テレビニュースではイタリア北部の積雪の様子が毎年よく報道されますが、それが今年は実家のあるローマもこの雪のせいで
都心の交通網が遮断されてたいへんなことになっていました。またローマ郊外に住む友達の地域にも大雪が降ったらしく、まるで今年は北極のような寒さだと電話で話していました。
同じサルデーニャでも内陸部で標高が高い地域等では凍て付く道路に降り積もる雪のせいで雪かきをしている人々の姿が毎年テレビの画面に映し出されるほどです。

普段は割と恵まれた気候である私達の住むサルデーニャ北東の海岸線地域でも今年のここ数日間の寒さは本当に身に応える程で、普段太陽の日差しを浴びながら芝生の上で過ごすのが好きな我が愛犬もこの数日間は寒空の下よりもやはり暖炉の前の
特等席をしっかり陣取って全く動こうとしない有様。
暖炉に薪をくべて火を熾し、火が小さくなれば、また薪をくべてと結構手間がかかり、燃え残った木灰の後始末や効率の良い
暖房効果やまたは環境や相対的コストのことを考えて、2,3年前からペレットストーブがここサルデーニャでも主流になりつつあるけれど、私は暖炉のこの手間のかかる一連の作業と直に薪の炎を見入りながら、暖炉の前で過ごす時間がやっぱりこの上なく好きで、そして暖炉を前にして薪の世話をしながらの会話は人との距離をより近づけ、よりリラックスさせるように思います。
日曜日クラウディアがロンドンでの休暇から戻ってきてすぐに我が家に立ち寄ってくれました。お互いに遅ればせながらの新年の挨拶を交わした後は、暖炉の前で大きなマグカップを片手にそれぞれが燃え立きる薪の炎を見つめながらお互いの近況等を語り合いました。

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# by portocervo1962 | 2012-02-07 05:20 | A proposito di me | Trackback | Comments(0)
2012年 02月 01日
フラジリティとアコースティック
昨年の年末のいつ頃だったかもうよく覚えていないけれど、ある時、車のラジオからAmy Winehouse のある曲が突然流れ出した。
その曲がしばらく耳元から離れなくて、結局は彼女のアルバムを初めていろいろと傾聴するきっかけをその曲が与えてくれた。
昨年の夏、親友のシモーナと働いていた時に、確か7月23日だったかネットでニュースを閲覧していたシモーナから突然、
Amy Winehouse が亡くなった事を聞いた時、薬物やアルコールの過剰摂取をはじめプライベート等でいろいろと必要以上に世間からいつも取り沙汰されていた彼女だったから、いつか何かが起こってもおかしくないと予期していただけに、また若干27歳という若さで命を絶ってしまったという訃報を知ってなおさら胸が詰まる思いだった。
私の周りの友達も、彼女のプライベートの真偽がどうであれ、彼女のミュージシャンとして天賦の才を誰もが認めていたので、
稀に見る才能を失くした事実に皆ショックを隠しきれなかった様子だった。

イタリアでも2006年から2007年にかけてはテレビやカーラジオからAmy Winehouse の曲が頻繁に流れるようになり、あまりにもメジャーになりすぎてしまうと楽曲の独自性が大衆化されてしまって何となくポップス・ミュージックの一員として化してしまう感もあって、じっくりと聴き入る機会をあえて設けてこなかったという本音が実は自分の中にあった。

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# by portocervo1962 | 2012-02-01 06:25 | A proposito di me | Trackback | Comments(0)


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