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PORTO CERVO の人々

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2012年 10月 23日

新興国中東新アラブの到来とLNG(天然ガス)マネーの投資先

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今年2012年はエメラルド海岸がイタリアはサルデーニャ島の北東ガルーラ地方の入り江に高級保養地として
1962年に誕生してから50年を経ったことを記念しエメラルド海岸の随所で様々なイベントが催され、さらにはエメラルド海岸誕生のヒストリーを辿るべくして数冊の本が刊行された。

思えば、1962年の設立から創始者の一人アガ・ハーン4世はカーラ・ディ・ヴォルペホテルをはじめとした5つ星ホテルに着手しながら、彼はいつしかホテル事業に勢いづき1985年にはその当時イタリアのグランドホテル事業グループとして
知られていたCIGAを買収するようになるが、スペイン、オーストリア等の欧州全域に事業規模が拡大しすぎ、このため累積債務が重なり、アガ・ハーン4世はエメラルド海岸の主要事業から手を引く事を余儀なくされ、1994年にはStarwood と併合した(ITT )Sheratonが舵取りをするようになるが、そのすぐ4年後にはStarwood(ITT )Sheratonを買収し、
ルクソール・リゾートコレクションを始めとしたブランドホテル事業をStarwoodの指揮の下その後は運営されて行くようになる。

2003年になるとレバノン出身の投資家Thomas(Tom) Barrack(トーマス・バラック)率いるColony Capital(コロニーキャピタル)はイタリアのUniCredit銀行から融資を受けて2億9千万ユーロで晴れてエメラルド海岸のオーナーになったわけであるが、実質は2012年のUniCreditへの返済期限までに2億ユーロの債務を残しながらの運営で、采配を振るどころかかなり厳しい財政状況だったことは私達の間ではよく知られていた事だった。
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(Tom) Barrack(左)とアガ・ハーン4世(右)

(Tom) Barrackは2003年にすぐに新しい組織をタックス・リゾート地で知られるルクセンブルグに
Colony Sardegnaを設立し、2007年になると(Tom) Barrackの旧友でもあるTPG-Axon(ティーピージー・アクソン)のBonderman(ボンダーマン)に声をかけ、すぐにパートナーシップを結ぶ。
2010年の時点での株式の内訳としては、

Colony Capital 32,4%
Colony Partners 52,6%
UniCredit     14,4%
De Agostini    0,6%


De Agostini デアゴスティーニグループはイタリアに地図学を普及させ、子供達の成長と共にDe Agostiniの地図は発展し、今では出版業界のグローバルリーダーとまでなり、持ち株の他の分野ではテレビ、映画、メディアコンテンツ、金融、不動産業界にまで進出しており、さらには宝くじ、スクラッチカード等の公共サービスを提供する宝くじのオペレーター組織
lottomaticaのオーナーでもあり、いわゆる同族資本主義をベースにしたコングロマリット(複合企業)に急成長している要注目企業である。

2011年になるとUniCreditは自分達の持ち株をカタール首長国が率いる政府系投資ファンド、カタール投資庁に売却する。
そして2012年の春にはカタール投資庁のエメラルド海岸の持ち株は(Tom) BarrackからBarrackの買値の倍の金額
6億ユーロを支払って買取り、これでカタール投資庁の持ち株は51%以上は優に占め、晴れてエメラルド海岸の筆頭株主、新しいオーナーになったわけである。

アラビア半島でペルシャ湾に面するカタール首長国はいったいどんな小国なのだろう。
日本人の私達にはサッカー・ワールドカップ予選で日本が本線出場を逃した試合「ドーハーの悲劇」が特に馴染み深いだろうか。

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# by portocervo1962 | 2012-10-23 20:23 | Costa Smeralda
2012年 07月 26日

L'isola di Mortorio モルトーリオ島

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はじまりはイタリアの実業家、ミネラル炭酸水のサン・ペレグリーノで知られる男Giuseppe kerry Mentastiが1954年にサルデーニャ島の北東に浮かぶ島、モルトーリオ島を購入したことから始まった。
1950年代のサルデーニャ島北東地域のガルーラ地方はまだ未開の荒野で何も無かったも同然だった。

Arzachena(アルザケーナ)の町でタバコ屋を営むLuigino Demuro(ルイジーノ・デムーロ)から42haのモルトーリオ島を3百万リラ(約千5百ユーロ)で購入したと言われている。
※メディア上では3百万リラを支払ったという説が出回っていますが、実際にメンタスティ家族に確認したところ50年代のサルデーニャ島はマラリアが猛威を振るっていたので、3百万リラ相当の製薬品と引き替えにモルトーリオ島を譲り受けたというのが本説です。
そしてDemuroは島と引き替えに得た製薬品をマラリアに冒された人々に販売していたそうです。

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そしてその後、Giuseppe kerry Mentastiは現在のポルトチェルボに当たる200haもの土地を購入するようになる。
1961年、この時代のガルーラ地方の土地の価格はとても安価で1haで50万リラ(約250ユーロ)。しかしすぐに地価は跳ね上がり1haで5百万リラ(約2千5百ユーロ)となる。
60年代当初はアガ・ハーン4世をはじめとした創設者達の友人・知人たちのみで、後には徐々にイタリア人の上流・中流中産階級の人々もサルデーニャのガルーラ地方に不動産投資に訪れるようになった。

夢の実現の為にアガ・ハーン4世らが土地を買占め始めた60年代初頭、Liscia Ruja(Long Beach)あたり一帯の土地を所有していた羊飼いのSalvatore Ghilardi(サルバトーレ・ギラルディ)はアガ・ハーン4世のMiliardi(ミリアルディ)という10億単位での土地購入の申し出をMilioni(ミリオーニ)100万単位でなければ譲らないと言い張ったと言う伝説が今でも残されている。
60年代初頭、放牧のみで生計を立てていた羊飼いの世界ではMiliardi(ミリアルディ)という言葉が公用語として流布していなかったという現実があったのである。

真のジェット・セットたちのみの地中海の高級保養地を作り上げることがハーバード大学卒業したてのアガ・ハーン4世の念願の夢だった。貴族や大実業家達が創り上げた小さな夢の楽園エメラルド海岸は瞬く間にヨーロッパをはじめとした世界中のジェット・セットたちに浸透していった。
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1964年 チェルボホテルとポルトチェルボの小広場・商業施設と入り江。

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# by portocervo1962 | 2012-07-26 06:44 | Costa Smeralda
2012年 07月 02日

Sem Você  あなたがなくては

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皆様、暫くの間ご無沙汰しておりましたが、私は毎日たいへん忙しく過ごしながら、とても元気にしております。3月1日に投稿して以来約4ヶ月間程でしょうか、まったく更新出来なかったにも関わらず、それでも定期的にこのブログに訪問して下さっていた皆様には、この場を借りて心から感謝の気持ちとお礼を申し上げたいと思います。本当に皆様の貴重な時間をこのブログのために割いて頂きましていつもたいへんありがたく思っております。
またこのブログに定期的に訪問して下さっている方が昨年から軒並みに増えている事も事実で、もう何年とずっとこのブログに続いていただいている方もたくさんいらっしゃいまして、本当に拙ブログながら光栄の至りと思っております。

冒頭の写真は私達が住むヴィラのゲストの部屋の窓際から撮影したものです。
夫家族は60年代頃からエメラルド海岸域に幾つかヴィラを所有しておりましたが、最後まで手放さずに残ったのが現在私達が住んでいるこのヴィラで、と言っても築35年以上も経つとても年季の入ったサルデーニャの伝統建築様式を取り入れたいわゆるカントリー・スタイルのヴィラですが(2回ほど改装しています)、今では私自身とても愛着を感じています。ヴィラの大きさとしては地下にモノロカーレ(ワンルームアパート)(キッチン、バスルーム付き)、ゲスト用の部屋が3部屋にマスタールーム(寝室、バスルーム)、クローゼットルーム、ランドリールーム、リビング、キッチン、単独のバスルームが2つという間取りになっておりまして、毎年夏は大所帯になります(笑)。
このヴィラの唯一の自慢はやはりカーラ・ディ・ヴォルペ湾が一望出来、またサルデーニャの北東ガルーラ地方の入り江と向き合う幾つかの小島までも一望出来るということでしょうか。
このヴィラからの景色は「ちょっとした瞑想状態に陥ってしまうよねっ」てこのヴィラに訪れたゲストの方たちからもよくそういう
うれしい言葉を頂けるほどです。
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実は2月の末に思いがけなくというか幸運にもとても大きな仕事を任され、3月から仕事に真剣に取り組んでかなり集中して過ごしておりましたら、中々ゆっくりとブログに携わる時間が自分で全く作り出すことが出来ずに気が付いたらほぼ4ヶ月間も経ってしまいました。
でも更新の無い4ヶ月間の間にたくさんの方がちょくちょく訪問してこのブログを気にしてくださっていたので、ようやく少し時間が出来たところで、今回久しぶりに頑張って更新した次第です。
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毎日忙しく過ごしながらも時折、家から出かける時や帰宅した時に家のテラスや窓際からふと眺める景色にはっとして、もうそんな時期になったんだと改めて時の経過を知らされることもしばしばでした。

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# by portocervo1962 | 2012-07-02 07:11 | A proposito di me
2012年 03月 01日

春陰

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2月の初旬に降り積もった雪が雪解けして、山の麓や雪渓から雪解け水が沼地に流れ入り、沼地から海辺にへと水が氾濫した為に出来た小さな河口が今年は所々のビーチで見かけられた。河口の水面にはもつれた白い巻き雲がどんよりとした雲を覆うように春の曇りがちな空を映し出していた。
雪解け後の毎週末は小さな春を見つけに山野や海辺に散策に出かける度に、必ず自分たちと同じように春を待ちきれんとばかりに訪れていた人々と出会った。
やはり春を待ちわびる思いは皆一緒なのだと思った。
気が付けばもう3月で、日本だと年度替りの時期。また卒業式や送別会もたくさん行われ別れと出会いの月でもある。
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日本から遠く離れていてもこの3月の時期になると私も昔の数々の忘れられない別れと出会いの思い出に春を慈しみながら回想することがある。
再会する事はとうてい難しい旧友たちをなつかしみながらも、特に3月11日の被災地近くに実家を持つ旧友の一人のことがやはり今でも気掛かりなのである。
もうあれから1年が経とうとしている。
決して忘れてはならないあの日から。



MY FRIEND- Irma

I know (Clip officiel)-Irma




いつも訪問ありがとう。

# by portocervo1962 | 2012-03-01 07:04 | A proposito di me
2012年 02月 24日

made in Senegal?

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カブラス潟

サルデーニャのオリスターノ県にあるCabras(カブラス)は漁師の村としてよく知られているが、またサルデーニャの特産品の一つでもあるボッタルガ(からすみ)の産地としても世界的に有名である。
もともとは水夫や漁師たちが長く陸から離れて生活する上での日持ちする身近な食材として昔から親しまれてきたのが、今やボッタルガは地中海のキャビアとも呼ばれたりしながら珍重な高級食材として世界中の食卓に上るようになり、これもサルデーニャの漁師達の伝統や習俗と密接に結びついた知恵と技術の産物であることは確かなのだろう。

地図で確認してもわかるようにサルデーニャは海に隣接した潟や池沼が多く形成されていて、潟漁が昔から盛んである。
ボッタルガ(からすみ)はメスのボラの卵巣を洗浄し、塩漬け、乾燥、熟成して加工されたものであるが、ボラは淡水と海水が混じる水域を行き来する汽水魚として、主にサルデーニャの南部の潟や池沼で活発に漁獲生産され、
ボラのボッタルガの加工製造業者もほとんどが南部に集中している。
オリスターノ県のカブラス潟(Stagno di Cabras)をはじめカリアリのサンタ・ジッラ潟(Stagno di Santa Gilla)や南東部オリアストラ県のトルトリ潟(Stagno di Tortolì )地域の加工製造業者はよく知られている。

サルデーニャの特産品はワイン、チーズ、オリーブ・オイル、パスタと食品部門だけでも数知れずあるけれど、中でも
ボラのボッタルガはレストランや友達を招いてのディナーでもアンティパスト、プリモと出番も多く、お土産としても人気を博している。

私も好んでボラのボッタルガを食材としてよく利用するが、実際のところ当たり外れもあってよく熟成されて旨味が引き出された
ボッタルガに出会うべくいろいろなメーカーを試していた2年前のある日あることに気付いた。

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# by portocervo1962 | 2012-02-24 10:19 | Sardegna